地球の資源には限度がある。確かにその限度は人間の掘り出す力にもよるが、それでも限度がある。新しい資源を入手するために、環境へ悪影響を与えることは多い。だから、新しく使う資源の量を最低限まで抑えるのは当たり前なのではないか。日本の「勿体無い」精神とも関わる。資源の利用を抑えるために、不具合が発生した物を修理するのはいい方法である。修理には時間と技能は必要であるが、必要になる資源は壊れた部分に限るので、資源の利用を抑えることはできる。しかし、現代の商品の大半は修理できない。できる場合でも、新品で買うよりお金がかかる。そのため、一般人は修理しない。それで、ちょっとだけ壊れたものは捨てられ、資源の消費に拍車がかけられる。
現代の生活から完全に離れて、自給自足しない限り、個人ではこの問題を回避することはできない。修理できる商品は市販されないと、購入できない。パソコンや家電は顕著な例になっているのではないか。しかし、この問題は非常に複雑なのである。現代社会が進んできた方向で、解決するのは無理に近いだろう。
まず、修理を促すと、国内総生産が減少することがある。原則として、修理は新品ほどお金がかからないはずだが、国内総生産は費やされたお金によって測られる。節約すれば、経済へ悪影響するとも言えるが、社会構造を修理を促すために改善すれば、必ずと言っていいほどの確率で国内総生産が下がる。確かに、指標として国内総生産が問題をたくさん持っているが、現時点で重視されているので、この問題を解決しないと進まない。
そして、新品を量産で作成できるが、修理は必ず一個一個でしなければならない。壊れた点が物によって違うし、直し方もそれぞれである。人工知能でできるようになるとしても、工場より進んだ技術は必要なので、お金が掛かる。その上、修理を可能とするために、最初から商品の構造を考えなければならない。これで、生産コストが上がることも予測できる。
その上、修理ができる人は少ない。そのような人はいない限り、修理できる商品には利点はない。一方、修理できる商品は少ない限り、修理屋としての生活はなりたてない。この問題を突破することは簡単ではないだろう。
最後に、現代の製品の一部は、本質上修理は不可能である。特に集積回路は重要な例である。最新型の集積回路の政策は、分子レベルになっていると言えるし、一つの個体の中の構造である。個体を新しくしない限り、修理はできない。
日本では、家も修理しない傾向は強いので、深刻な問題になっていると思う。この問題を解決しない限り、自然環境との共存に必要な循環型社会にはなり得ない。一方、部分的に改善して段階的に目的に近づく方法はすぐに見出せない。その為、この投稿は「具体策」よりも、「この問題を解決するために具体策は必要になる」というところでとどまっている。
>新しい資源を入手するために、環境へ悪影響を与えることは多い。
足尾銅山鉱毒事件がその最たる例。
>だから、新しく使う資源の量を最低限まで抑えるのは当たり前なのではないか。
資源に乏しく、コスト削減のため代替材料の研究開発は平行して進められている。
レアアース、メタルが禁輸された時は雨後の筍のように代替材料、削減技術が開発された。
あと都市鉱山という概念があって、電子機器の貴金属を取り出し再利用している。
因みにオリンピックメダルにはその金銀銅を用いる予定。
>まず、修理を促すと、国内総生産が減少することがある。
そうだろうか?故障した部品を入れ替えることになるので、その部品を再度仕入れることになる。
よって僅差の成長率だろう。企業もどの部分が壊れやすいか入念に調査し、次の新製品に活かすので中長期的に見て故障率は低下してゆく。そして信頼性は増し、新たな顧客を獲得してゆくので、長い目で見ればプラスかもしれない。
暁花薬殿物語
https://www.amazon.co.jp/暁花薬殿物語-富士見L文庫-佐々木-禎子/dp/404072786X
これ、買い与えようか。
東大首席の弁護士が教える「自分から勉強する子」にさせる夏休みの習慣
http://www.jprime.jp/articles/-/12870
これはうまい!夏の元気をお魚パワーで。イワシのチーズロールの作り方
http://karapaia.com/archives/52262616.html
その通りです。技術の先進によって問題を軽減できることは多いと思いますが、再利用や修理修繕もその対象となります。代替材料で新しい資源の入手の必要性を抑えることはできるのではないでしょうか。
現行の国内総生産の測り方で、そうなると思います。確かに、絶対ではありませんので、そうしなかったら嬉しいですが。国内総生産の計算ベースは大変偏っていると言われていますが、詳細はまだ勉強していません。(例えば、環境への被害は経費として計算されていませんし、家庭内の労働は生産としても計算されていません。介護士を雇って親の面倒を見させれば、国内総生産が上がりますが、自分で仕事を辞めて世話をすれば、下がります。指数として問題は多いと言われます。
漫画は面白そうですね。そして、勉強させる方針は、私も基本的に賛成です。子供の間の差は短い記事でちょっと軽視されていると思いますが、勉強や生活の習慣も、親の背中を見ながら育ちますね。
天若日子(あめのわかひこ)は、天津神に賜った天の波士弓(はじゆみ)と天の加久矢(かくや)を手にとってその雉を射殺した。するとその矢は雉の胸を突き通して、逆さまに天に射上がって、天の安河(やすのかわ)の河原にいらっしゃる天照大御神と高木神(たかきのかみ)の御所まで飛んでいった。この高木神というのは高御産巣日神の別名である。この高木神は、「この矢は天若日子に授けた矢である」と仰せになり、諸神に見せて、「もし天若日子が、命令を誤つことなく、悪心を射た矢が天まで飛来したのならば、天若日子はこの矢による禍いあれ」と仰せになって、その矢を手に持ち、矢の来た穴から突き返しお下しになったところ、天若日子が、朝の寝床に寝ていた鳩尾に命中して死んだ。これは、“返り矢”の起源である。また、あの雉も天に帰らない。
だから今でも諺に「雉の頓使い」という起源がここにある。
雉の頓使い
https://kotobank.jp/word/雉の頓使い-472683
漢検の受験会場は一人で行かせるべきか否か。
この話ぐらい知っていますね。勉強時間が短くなりますが、漢検と挑戦するべきかなと思ってきつつあります。書く練習は心配ですが。私には、12年の学校での練習の基盤はないからですね。