移民の種類

移民を論じる前に、移民の種類を区別すべきである。移民と言ったら、一色の存在であるわけではない。普段、合法移民と違法移民に区別されるが、この政治理念の枠で、法制をどうすべきかについて考えているので、論理上、まだ合法や違法は成立していない。その前の段階で分析したいと思う。

先ずは、自分の意思で移住する人と無理矢理移住させられた人を分ける。

自分の意思で移住する人をさらに細かく分けたら、二つの分け方がある。一つは、滞在の期間の予定で、もう一つは移住する動機である。

滞在の期間は大別したら二つある。

一つは有限の期間で、もう一つは無限の期間である。有限の期間は、移住先の国で暫くの間住んでから、母国に戻るか、別な国へ移住するかというつもりである。無限の期間は、もしかして死ぬまで移住先で住むかもしれないが、少なくともはっきりしたさらに移住する予定はないことである。もちろん、体験によって、その予定が変わる場合は少なくない。当初、私は1年間日本で住むつもりだったが、もう移住つもりは完全になくなった。一方、事情によって予定を変えなければならない場合もある。

移住する動機は、大別して三つになるだろう。

一つは、移住先の国の文化や生活を憧れて、体験したり、理解したりする目的である。このような人は、移住先の国の言語や文化を当然学ぶ。この動機は一番望ましいと私は思う。(私の動機だったので、完全に客観的ではないかもしれない。)移住先の生活に溶け込もうとするし、社会問題を起こす可能性は低いし、自分の背景から新しい要素を国にも持ち込む。これは移住先の利益になる。このような人を「文化を求める人」と呼ぶ。

もう一つは、出稼ぎのためである。これも悪くない。受け入れる国には労働力は必要で、移住する人には収入は必要だから、お互いに利益になる。ただ、社会に溶け込まなければ、問題が発生することは多い。これに配慮して受け入れるべきだろう。このような人を「お金を求める人」と呼ぶ。

最後は、移住先を変えるためである。顕著な例は宣教師や植民地を設置しようとする人である。この動機を問題視する。どこの国でも、自国の社会を覆そうとする人を受け入れる必要はないだろう。このような人を「革命を求める人」と呼ぶ。

無理矢理移住させられた人も、大別して三つの種類がある。

一つは、親と一緒に移住する子供である。親が自分の意思で移住したとしても、子供は原則として違う。親に従うしかないので、親が移住すれば、子供が無理矢理移住させられる。場合によって、移住先の国で生まれることもある。このような人を「移民の子供」と呼ぶ。

もう一つは、元住まいから追い出された人である。所謂難民である。この人は、特定の国へ移住する意志はないが、危険を逃げなければならない。安全な行き先を求めている。この人は難しい問題になる。安全を求める国の責任で追い出されたわけではないので、受け入れる義務があると言い難いのである。(国際法の下で義務があるけれども。)一方、難民の責任でもないので、慈悲を考えれば、何とかするべきなのではないかとも思われる。このような人を「安全を求める人」と呼ぶ。

最後に、移住先の国に移住させられた人たちである。アメリカのアフリカ人の奴隷は顕著な例だろう。その人は、アフリカを発つ意志はなかったが、拘束され、船に詰め込まれ、アメリカへ持ち出された。このような人とその人の子孫は大きな問題になるし、国家の責任になる。この責任は重いが、責任を果たす方法は見つけにくい。少なくとも、このような人を移民として批判する余裕はないと言えよう。このような人を「持たれた人」と呼ぶ。

移民問題を考えれば、この六つ人の種類が根本的に違うのは明らかであるし、有限の住まいと無限の住まいを求める人も根本的に違う。別々で考えたいのである。

1 コメント

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  • 一方では革命を求める移民は問題視しますが、片方では皇位継承の基本ルールを変えた方がいいと主張しておられます。内心はどうお考えになっても当然自由ですが、女系論を公然と推すのは革命を求める移民としての行為ではないでしょうか。ご参考まで

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