誘惑の制限

国家が他人に影響を与えない誘惑に対して、どう関与すべきだろう。自由主義者の間に、一切関与すべきではないという人は多いが、それに問題がある。まず、子供を守る必要がある。そして、大人になっても、本当の意志に従うかどうか疑う余裕がある。その場合、住民のために国家が関与しても良いのではないかと主張する人もいる。

この問題を、具体例を挙げて考えた方が良いと思う。そして、具体例として、自分が肯定的に評価する誘惑を掲げた方が良い。許す制限は、制限された誘惑を肯定的に評価する人に負担を課すので、その立場から考えるべきであるからだ。ここで例の誘惑として、好奇心を掲げる。つまり、知識が人の損害になると考える国家の場合、どのような制限を認める。転じて、麻薬に対して同じような制限しか認められない。確かに、知識を疑う国家は間違っていると私は思うが、国家は人間が構成する組織であるので、間違える場合もある。間違った方針に沿って、どこまで制限を許すべきかは、考えなければならない。

まずもって、禁じることは許せない。勉強や研究を禁じれば、長期的に大きな問題になる。

禁止より柔らかい制限があるのだろう。

一つは、考える時間の確保を保証することである。誘惑の場合、その場ですぐに決める傾向は強いが、それで問題が連動する。法律で考える時間を強いると、本当の意志により近い判断が期待できる。例えば、本を買おうとすれば、まず予約して、そして48時間後入手できる。その間、自由に予約をキャンセルすることはできる。

勉強にこのような制限が課されたら、確かに不便であるが、死活問題にはならない。計画的にしたら、まだ思うまま勉強できる。待ち時間を1週間にしても、根本的な問題にならない。1週間を超えたら、勉強や研究の本当の妨げになりかねないので、慎重に考える。しかし、1週間以内であれば、国家が間違えて、この制限を課しても、耐えられそうである。

もう一つは、入手できるところを制限する制度である。これも、事実上1週間以内の待ち時間の不便を越えない限り、許すだろう。

そして、勉強するための教材を入手する前に、身分証明書を見せて、登録する義務が課されたらいかがだろうか。これで、国家が情報を悪用することが心配になるが、登録自体には問題はない。国家は本当に意志の尊厳を重視するが、誘惑について真剣に間違えた場合、悪用が問題にならないので許せる。一方、国家の本当の態度を簡単に読み取れないので、悪用防止策の導入を要求するのは当たり前だろう。このような対策を慎重に考えるが、許せないわけではない。

同じように、行動を国家が指定する場所以外で行ってはいけない制限がある。これで、情報の悪用も邪魔の程度も気になるので、極めて慎重に考えてもらいたいのである。そして、場所は行動に適しているかどうかが問題になる。勉強のために図書館のようなところも必要であるが、現場研究もあるので、場所を特定できるかどうかは明白ではない。対応をよく考えてもらえたら必ずしも反対するとは言えないが、適切な形を実現するのは困難だろう。

最後に、国家が勉強できる内容を制限する方針はどうだろう。これに猛烈に反発する。勉強の避けられない制限になるし、勉強の本質に逆らう。実は、禁止令に等しい。禁止令の範囲はちょっと狭くなっているだけである。

つまり、誘惑に負ける人の匿名を保護し、ただ手間を加える対策は許せる。匿名を侵す対策は慎重に扱う。しかし、一部を禁じる方針は許せない。このような枠組みで他の分野での適切な制限を考えられるのではないだろうか。

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