憲法の役割

憲法が具体策のカテゴリーに現れると、違和感を抱える人もいるだろう。しかし、具体策であると強調したいのである。憲法は理念ではないのだ。

憲法の役割を簡単に言えば、行政と立法府とを束縛することである。司法や一般国民を束縛するのは一般の法律だが、特に立法府は一般法律を変えることができるので、基本的に束縛されていない。行政は直接に法律を変えることはできないが、立法府に強い影響を与えることは多いので、間接的に変更できることは多い。そして、民主主義の国家で、国民の過半数を束縛する役割もある。これも、国民の過半数には法律を変える権力があるからだ。

この機能はなぜ必要なのだろうか。

ヒトラー

ヒトラーは、総選挙に勝ってドイツの首相になった。民主主義も間違える。歴史的に残酷で悲惨な結果のある間違いもあり得る。憲法の役割は、そのような間違いの可能性を抑えることである。

完全に無くすことはできない。旧ソ連の共産党は、内乱で権力を剥奪したので、憲法があったとしても何も影響は無かったと思うしかない。しかし、最近のアメリカでトランプ大統領が行おうとした行動は、裁判で違憲と判決され、止められた。政権が適切な行動を逸脱する場合、憲法が止めるのは重要である。あらわに憲法に反対する政権は、多くの場合国民の支持を失う。だから、憲法の存在が憲法を破ろうとする政権の行動を難しくする。憲法改正を提案しなければならないようになる場合も見込まれる。

そのために、憲法改正を難しくするべきである。日本の憲法の現行の基準は悪くないだろう。国会で3分の2の賛成と得るために、選挙での圧勝又は超党の同意が必要である。そして国民投票で過半数を得る必要があるので、隠した案を通らせることはできない。

これまで悪質な政権の問題を取り上げてきたが、実は憲法の一番重要な役割は、悪質な政権を束縛することではない。悪質な政権に対して、紙に印刷された憲法は本当に弱い。無力ではないので、あったほうが良いのだが、専ら憲法に頼るのはかなり危険である。寧ろ、良質な政権に対して、憲法の力も機能も素晴らしい。

良質な政権は、憲法に違反しないようにするのは当然である。特に、憲法が人権などを保護すれば、良質な政権は憲法の目的と同意するに違いない。しかし、ある問題の解決と取り組む時、広い視野を忘れることは多い。ある程度忘れる必要である。論点を絞らないと進歩することはできないからだ。そうすれば、ある対策が人権を侵すことに気づかないことは十分ある。そして、その恐れが指摘されても、問題解決は重要であるから、その侵害は許されるべきであると反論する場合もある。

憲法がこのような行動を止める。最高裁判所が違憲の判決を下したら、その方針はもう終わりである。

そして、憲法を改正しようとすれば、その一つの問題ではなく、一般的な立場から憲法を改正することになる。その場合、改正の後で発生するであろう問題が指摘されるので、より広い意味でその憲法の制限が論じられる。場合によって、憲法が改正される。しかし、一つの問題を解決するために、大きな人権問題を導入することは防がれる。

憲法はこのような具体的な役割があると私は思う。だから、憲法は国柄を表現する存在ではない。国柄を表現することは、政権の能動的な行動であるので、憲法はその逆である。同じように、憲法は一般国民を制限する法律ではない。一般法律はその役割を担う。憲法の役割をこのように考えれば、何を入れれば良いのかが驚くほど明らかになる。

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