憲法改正で教育の充実を確保するような動きも自民党にも見える。
これも、私は賛成する。
子供に十分な教育が無償で与えられるような義務を国家に課すのは良い。そして、そのために国民に自分の子供の教育を確保するような義務を法律で定める許可を与えることも良いのである。原則として、現行の憲法のように憲法で国民に義務を課すのは良くないが、行政にその義務を課す許可を与えれば、別な条項の摩擦で義務教育が違憲にならないようにできる。(税金も同じである。憲法で税金を支払う義務を課すべきではないが、憲法で法律でその義務を課す許可を与えるのは良い。)
その教育の対象範囲を「未成年者」とすべきだと思う。成人になる年齢は、法律に委ねても良いが、未成年者に無償に教育を提供する義務を国に課すのが良い。もしかして、義務教育の範囲をこれより狭めることがある。例えば、成人になる年齢を今の20歳(まだ正式に18歳になっていない)のままで、義務教育を15歳までとしても良い。ただし、高校も短大も大学の前半も無償で提供する義務になる。
逆に、幼児教育を無償で提供する義務が発生するが、義務化の年齢を今のままで6歳としても良い。
つまり、未成年者の皆に無償で教育を提供するが、保護者に受けさせる義務は、その一部に限る。(個人的に、3歳から義務化した方が良いと思うが、それは別な問題である。逆に、15歳以上を義務としないほうが良いだろうとも思う。)
そして、憲法で教育の内容を定めるべきではない。憲法は基本的な制限や構造を定めて、詳細を普通な法律に委ねるべきです。だから、抽象的な規制が良い。例えば、「国は、未成年者を対象に社会的で文化的な生活を確保することに足りる教育を無償で提供する」。「社会的」は、「社会の一員として」とか「社会の常識に合わせて」とか「社会で就職できる」などの意味が入っている。一方、「文化的」は教養の分野を指す。これで、国や地方自治体が教育の内容を定める時、この両方の要素に配慮しなければならないことになる。最適な教育を定めるのは容易ではないが、この両面が指針になる。その上、社会が変遷していけば、教育の内容も改善されなければならない。そうしないと、「社会的な生活の確保」に足りなくなる。
義務の方は、「国は、未成年者の保護者に、社会的で文化的な生活を確保することに足りる教育を当該未成年者に受けさせる義務を課すことはできる」のような表現は良かろう。つまり、国が提供する教育を利用する義務を課すことはできないが、どこかで足りる教育を受けさせないと罰を与えて、国の方で子供の教育を調達することはできる。もしかして、国がどれほど教育の内容を指定できるかを憲法で明記すべきだろうが、そうすれば、週に何時間分を超えない教育内容を定める権利を与えた方が良い。教育の半分などを限度とすれば、自由が確保されるからである。
新生児から成人までの教育を政府が無償で提供すれば、それを利用する親は多いのではないかと私は思う。これは本人にも社会にも良い状態なので、このように現行の教育条項を改正するのは良いと私は思う。