家庭祭祀の中で、原則として毎日執り行う祭祀に加えて、年中行事があるかと思われるだろう。神社の場合、毎日の日供があるが、秋祭などの毎年執り行う祭りの方が目立つ。しかし、神社を真似するために年中行事を導入するわけにはいかない。家庭祭祀としてどのような役割を担うかをきちんと考察しなければならない。
毎日の家庭祭祀と違って、年中行事は非日常になるのが良いのではないか。毎日の祭祀がちょっと大きな規模になることに止まったら、精神的に強い存在感はなさそうだ。そのため、時間をかなり使って、普段しないことをするのは良い。
もちろん、そのような習慣はある。すぐに思い浮かぶのはお正月とお盆だろう。生活との整合性には基本的な問題はないことは、実証されている。そして、お正月もお盆も、神道の伝統から発生してきたので、この二つの行事を維持することも良いのではないか。(お盆の仏教色は濃いが、神道からの要素も重要であると考えられている。)
しかし、その前に年中行事の役割と目的を考えなければならない。毎日の祭祀は、自分の人生の目的などが狂わないような日毎の再確認になっているが、年に数回に過ぎない年中行事の役割は当然違う。
まず、家庭祭祀であるので、家庭が一緒にする形が良い。それで、一つの目的は家庭の絆を強めることとなる。一緒に食べたり、非日常を楽しんだりすることで、家庭の一体感が増すだろう。
そして、毎日すべきではないが、定期的に果たしてもらう役割を考えよう。
一つは、計画を省みて、将来のために修正することである。毎日の祭祀でその計画を意識して、計画を果たすための努力を見るが、計画自体を見直す必要も生じることがある。ただし、毎日そうすれば、計画は進まないので、産霊の発展は期待できない。その為、計画を見直す祭祀を定期的に行うべきである。一般に一年毎が良かろう。
もう一つの役割は、家庭の「縦」の絆を意識することである。縦の絆というのは、祖先と子孫への絆を指す。過去から受け継いだことと将来へ手渡すことを意識するのは重要であるが、日常生活に大きな役割を担わないので、一年に一回でも良かろう。
最後に、家庭の構成人に一人ひとり焦点を当てることも良い。家庭は勿論結集して生活を送るが、その中の個人の存在と役割を見逃してはいけない。一方、毎日個別に注目すれば、一体感が希薄してしまうので、それは良くない。他方、全くしないと個人の重要性を意識しなくなる。これも、一年に一回すれば良かろう。特に、この祭祀は家庭の人数と同じ数になるので、年に数回発生する。一人当たりが年に数回だったら、祭祀が多くなって、日常生活の妨げとなる。
上記の役割を読み返せば、お正月、お盆、そして誕生日に相応しいのではないかと思われるだろう。これは偶然ではないと私は思う。伝統儀式が必要な役割を担うのは当然である。それが維持される理由の一つになる。それでも、役割を簡単に果たせる形をとっているとは限らないので、実現するための工夫をするのは適切である。