縦の絆というのは、家庭の祖先と子孫との絆である。家庭は血縁の家族であれば、祖先も子孫も共有するが、そうとは限らない。核家族でも、父の祖先と母の祖先が違うし、息子の子孫と娘の子孫も違うはずだ。大家族の場合、子孫が分かれることは多かろう。そして、家庭は血縁や婚姻関係ではない場合、個人個人で完全に異なる可能性もあろう。そのため、もう少し抽象的に考えてから、具体化したいと思う。
祖先は過去であるが、子孫は未来だ。この事実を踏まえて、根本的な違いがある。それは、現在の行動は過去へ影響を及ぼさないが、未来に影響を大いに与えることだ。どこかで「より良い過去の希望を諦めなさい」との言葉を見たことがあるが、正しくその通りだ。一方、未来を良い方向へ導くことはできるのではないか。少なくともそれを目指す。
今まで考えてきた御祓は過去と関わるし、計画は未来と関係するが、それは縦の絆と違う。抽象的に言えば、ここでいう過去は家庭の人の全員が生まれる前の時代、そして未来というのは、全員が死んでからの時代を指す。つまり、家庭と直接に関わらない時代である。
このままとしたら、宇宙の誕生まで遡るし、宇宙の死亡まで流れるので、限度を加える必要がある。絆を話しているので、関係のある事実に限る。ある意味で、何でもと関係があるが、意識できる関係に限れば、本当の限度にはなるのではないか。
過去を考えれば、意識できる関係の一例は家庭に残してもらったことである。そして、未来について、何を残して上げるかが話題になる。残すものは物体は勿論、物語や習慣でも良い。過去から現在の家庭に受け継いできたことを意識して称えることは一部として、未来に残そうとすることを意識して、残せるように工夫することはまた一部である。受け継いだものと未来に渡すものは同じ場合は多かろうし、それで良いのである。家庭の中で代々受け継がれたものは当然それに当たる。
もらったものについて、その物体、物語、習慣だけではない、その発生者と継承者も思い出すべきである。つまり、今存在していることだけに焦点を当てるのではなく、現在まで残ってきた過程も語り継ぐ。同じように、未来に残す物体などだけではなく、その継承を確保する工夫も考える。
少数のものに焦点を当てるのは確かに狭いが、理由がある。先ずは、未来は予想できない方途に変化していくので、「今のような状態を継承させる」とは言えない。完全に無理になることは多い。同じように、過去の全てを把握するのも無理だ。一部を物語のようにすると、人間は親しみ易く感じるし、覚え易くなる。一方、あるものを保つために、その環境にも気をつけなければいけない。例えば、家屋を保つために、建物の保存も必要だが、道路が家屋の上に通らないように活動しなければならないし、人間がこのところに住めなくならないように頑張らなくてはいけない。そして、家庭の形をある程度保たないと家屋を本格的に保つことはできない。
つまり、具体的なものを中心として、過去の良き伝統を生きたままで保存することになる。
祖先と子孫との関係に戻ろう。家庭は家族である場合、現在にものを残してくれたのは主に祖先なのではないか。同じように、受け継いでくれるのは子孫である。つまり、この伝承を考えたら、自然に祖先と子孫のことも考える。ただし、家庭は家族ではなくても、このように考えることはできる。
ここで暗黙前提がある。それは、家庭は今だけの存在ではないことだ。家庭には過去も未来もあることはこの祭祀の概念の前提である。このような前提は惟神の道に相応しいと思うので、推進したいと私は思う。