元々本々

「元々本々」というのは、神道でよく聞かれる理念の一つである。その意味は、「はじめをはじめとし、もとをもととする」と言われる。つまり、元の形に立ち返り、その出発点から出ていることを確認することである。

この理念を保守的に解釈するのは当然だろう。いつも、過去の通りにすべきであるかのように受け取ることには無理がない。しかし、そういう風に解釈しない方が良いと私は思う。

「元々本々」とは、元々の目的を忘れずに進むことを指すように解釈したいと思う。ある計画を進める中、思わず詳細の調整に気が囚われ、詳細の実現のために様々な側面を修正して、結局元の目的を見失うことは少なくない。例えば、子供達を喜んで遊んでもらうためのイベントを計画して、公園で開催しようとすれば、安全のための措置とか、近所の人に迷惑をかけないようにとか、予算内にできるためになど計画を調整して、結局子供達が静かに座って講義を聞く案になることはありえなくはない。但し、それはもはや楽しく遊ぶ計画ではなくなった。「元々本々」を思い出して、元に戻って計画を立て直すべきである。

人生で同じような現象がよく現れる。例えば、家族を幸せにするために、贅沢な旅行を提供したいと思って、その資金を集めるために残業をする。しかし、残業で旅行のための休暇を取れなくなったり、家族と時間を過ごせなくなって、元々の目的を見失ったことになろう。それで、何故働いているかを再確認して、計画を適切に修正すべきである。

この現象は自然な流れの中にある。目標は何であっても、それに達成するために手法は必要である。手法を実現するために、様々な努力も必要になる。その努力は必要であるので、当然行う。しかし、手法に集中すれば、目標をいつも見つめることはできない。そのため、定期的に目の前の作業から一歩下がって、広い視野で活動を鳥瞰して、行動は今でも適切であるかどうかを考えるべきである。

伝統も同じである。伝統はある目的に達成するために構築されたと思われる。過去のいつかに伝統も新しかったからである。その目的は何かと考えて、目的をまだ擁護できるかと考えなければならない。目的に賛同できない場合、伝統を考え直さなくてはいけない。目的は良いと、次はこの伝統はそのままで達成に貢献するかどうかを考える。しないと、伝統を調整する。例えば、御神輿渡御の目的は、神様に氏子区域を見せることであるとする。伝統な道のりを保って行うが、氏子の大半が新しく建築された住宅街に住んで、御神輿の道のりから外れている。その場合、祭りはもう目的に達成していない。だから、道のりを変えるか、祭りの目的を変えるか、という選択肢になる。

「元々本々」で、今の努力は無駄になっていないかと確認する。固定化してきた伝統に縛られずに、その目的を生きている伝統で実現する精神を指していると私は思う。

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