昨日、次の元号が発表された。「
現在、元号を使う国は日本だけだそうだ。西暦を使わない国もあるようだが、元号のように時代の新しい呼称を選ぶ制度は、日本の元号しかないと言われる。元号制度自体は中国から輸入されたのは言うまでもないが、日本に根付いて、日本の文化の一部になっている。
だから、まず言いたいことは、私が元号の利用を支持することである。このブログで公表年月日が元号表記になっているのは決定的な証拠だろう。(令和に対応するための修正はもうできているし、試行で成功したが、現場実行になると問題が発生する恐れはまだある。)1300年以上の歴史を持つ独自な文化であるの、維持したり活かしたりするのは良いと思う。国際化で世界が統一化されるのは良くないので、国を区別する習慣を保つべきであると強調したいのである。
その観点から考えれば、もう少し余裕を持って発表した方が良かったのではないかと思わざるを得ないが、話題になったことは嬉しい。国民の関心はやはりまだ高いのようだ。
そして、今回の元号の内容を考えるべきである。「令和」の「和」は、やはり元号によく使われている字であるそうだ。20回だと言う。「和」の意味には、「平和」、「調和」、「和らぐ」、そして「
「令」は初めて使われているそうだが、やはり「和」よりややこしい。一般に「命令」や「政令」や「律令」に使われているので、上からの命令や掟との繋がりは強い。そのニュアンスに抵抗感を抱くのは否めない。特に、本物の「和」は、命じられるものではない。自然に発生しない限り、本当に存在しないと言うしかない。
一方、典拠の「令月」や「令嬢」のような使い方は、「素晴らしい」と言う意味を持っている。この意味で採用されたと思いたいのであるし、総理大臣の説明を聞けば、その通りだそうだ。だから、時代に対する希望を見たら、「素晴らしい平和や調和や和になるように」と言うことになるのではないか。私も、そのような希望に同感できる。そして、安倍総理大臣が言う「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」と言う希望に共鳴する。(ただし、「美しく」に慎重に思いたいことがある。別なところに論じたいと思う。)
最後になるが、典拠は万葉集であることも良いと思わざるを得ない。日本の元号が日本の古典から発生することは良いのではないか。独自の文化を維持するために、他の独自の文化と結びつけたら良いのだ。これで、元号が日本の文化を維持する機能をさらに担えるのではないだろうかと私は思う。