祭主と供物と神様が揃ったら、一応祭祀を行うことができると思われるが、まだ欠けている重要なことがある。それは、斎場である。場所はないと、祭祀を行うことはできない。
斎場をただの広場にする選択肢もある。御神体を臨時的な神座や神籬として、その前に供物を備えることはできる。しかし、現在の神社の大半には社殿があるので、社殿がある場合から考えるべきである。
遷宮を勧めるのは予想の通りである。建物を立て直して、常若を確保するし、永続も確保する。しかし、これは大掛かりの事業である。特に、宮座の外の社会に頼らないとすれば、材料の確保も大工の確保も神社の責任になる。
社殿は木造で茅葺であれば、再建のための木材を育成して、茅も用意しなければならない。そして、その職人の育成や生活維持も必要となる。檜皮葺であれば、檜皮を確保するための林も必要となる。神社によく見える銅板葺は原則として認められない。なぜかというと、仮に神社の近所に銅を入手できるとしても、再生可能な資源ではないので、永続の中で必ずなくなるからである。
これは大きな問題だが、より根本的な問題について考えなければならない。それは、場所自体の問題である。
場所がなくなるとは思えないではないかと思いがちだが、長期的に考えれば、そうではない。例えば、丘の中腹にある神社の境内が地滑りでなくなることは有り得る。地震で、島に鎮座する神社の境内が沈むこともある。そして、福島第一原発の事故で、神社の境内地が長期的に立入禁止となったことは実際に立ち向かわれている問題である。戦争で場所が他国に奪われることもあるし、国家の弾圧で場所も公然の祭祀権も奪われることも予想できる。その場合、祭祀が特定な場所と結びついていれば、維持できなくなる。
だから、斎場の移動を考えるべきである。つまり、文字通りの遷座である。その上、決まった場所の間の往復ではなく、新しい場所へ移動することも考えなければならない。
これは一番ハードルが高いだろう。場所を変えたら、参拝する習慣のある崇敬者の迷惑になる。そして、新しい境内地を入手することは容易ではない。旧境内地の処分も考えなければならない。
現実的に考えれば、社殿の立て直す技能が確保されたら、遷座はできるので、伝統の中で遷座の可能性を認めることで十分だろう。神道の伝統はそうであるので、特に何かを加えているわけではない。そして、理想的な場合、限られた範囲内の遷座を行うと、余儀なくされた遷座も受け入れやすくなる。このように考えると良かろう。