神棚の祭祀の一部として供物を奉るのは重要である。そして、その供物の内容には多様性があるのは伝統である。お米が重要になるが、お米、ご飯、お餅等の形式があるし、季節の物の献饌もある。だから、供物の内容を変えても、伝統を鑑みれば、少なくとも神に失礼ではないと確信できる。そして、自分の気持ちに基づいて変えることはできると言われるので、実験の一部として変えても、それが問題にならない。
結果の分析を簡単にするために、二者択一の形にすべきだろう。今の段階で、神の影響の存否を問うので、簡素な実験形式は一番相応しい。そして、神饌の歴史を振り返れば、候補が直ぐに現れる。明治維新まで、所謂熟饌を奉ることは多かった。それは、ご飯や焼き魚を供えることだった。つまり、人間が食べらる状態で提供した。しかし、明治政府の祭祀改革以来、生で提供することが一般になった。
だから、神にお米が良いか、またはご飯が良いか、と尋ねたら、その答えに従って供えると問題にはならない。神慮を本当に分かっていないが神様が存在する場合でも、現状より酷いことにならないのは決まっている。現在やっている行為の範囲を逸脱しないからである。
では、尋ね方は、神社祭祀の場合と同じように御神籤とすれば良いだろう。これも歴史のある占いの方法であるので、利用してもさらに問題にならないはずだ。御神籤を紙に「米」と「飯」の字をそれぞれ書いて、見ずに選ぶ方法が良かろう。合計で20枚になったら、目をつぶって椀等から取り出せば良い。勿論、半分は「米」、半分は「飯」とする。
毎日の神棚崇拝の中で、御神籤を引く。その御神籤の内容に従って、翌日の供物を決める。
そして、結果が出た基準を事前に設定すべきである。普通の統計的な事件では、20分の1基準がある。それは、本当に違いはなかったら、得た結果を偶然に見る確率は20分の1以下であるという基準だ。例えば、「米」の確率は5割で「飯」の確率も5割である場合、「飯」が4回連続でたら、その確率は16分の1であるので、まだ結果になっていないと言わざるを得ない。しかし、「飯」は5回出たら、その確率は32分の1であるので、結果であると判定する。勿論、6回目は「米」であれば、状況が一変する。また10分の1程度になっているので、結果がなくなった。
その上、予想する確率によって、5割と区別するために必要となる回数が変わる。100%「飯」だと思えば、5回で十分である。念の為、1000分の1程度になる10回までやるだろう。しかし、実際に「飯」は7割だと思ったら、回数がかなり増える。それを考えなければならない。