安定感

集団社会の最初の利点は、安定感を与えることなのではないかと私は思う。つまり、そのような集団に一旦入ったら、もう競争する必要がなくなる。将来に心配する必要もない。役割を著しく怠らない限り、定年退職まで働いて、ある程度余裕のある老後を過ごすことができる。

もちろん、会社の倒産や国家崩壊の可能性があるし、日本で大地震の恐れはいつもあるが、そのような社会規模な災害が発生しない限り、20歳で70歳までの人生が描ける。それ自体は嫌な人もいるが、そのような人が集団に入らなくても良い。

この安定感には二つの重要な要素があるだろう。

一つは、生活について心配しなくても良いことだ。その心配はなければ、自分の活動に集中して、ベストを尽くすこともある。それとも、仕事に必要な努力を注ぎながら、趣味等を楽しむことも考えられる。

もう一つは、人生の戦略的な決断が不要となることだ。人生の戦略はもう決まっているので、この決まった目的を果たすために努力すれば良い。人生の戦略は不安定な感覚があれば大きな問題になりうる。目の前のことに頑張るべきかどうかさえわからない場合、やる気を出すのが難しくなるだろう。一方、自分の役割がはっきりされたら、全力を出すことができる。

安定感と表裏になる問題は、緊張のなさのあまりで真剣に働かない恐れなのではないか。しかし、集団の構造がこの問題の対策も備える。それは、集団の他の団員からの圧力だ。集団から出される恐れはなくても、周りの人の不信感を感じて、努力することは人間の心理だ。周りの人の好感を得る心理は、生きるための衣食住を入手する心理に劣らないと言える。だから、尽力しなくても、集団が認める努力を提供することは多いだろう。

このような安定感を確保するために、解雇を難しくすべきだ。例えば、犯罪を犯さない限り、単純に解雇することを禁じる措置も考えられるだろう。解雇する場合、雇用期間と同じ期間に相当する予想できる収入を払う義務を課しても良い。ただし、法的な定年までは限度とすべきだ。つまり、20歳で就職して、70歳で法律上の定年退職する場合、45歳で解雇したければ、70歳までの25年間の収入を支払わなければならない措置だ。一方、短くても5年間の分を最低限とすべきだ。これで、社員の安心感があるだろう。

一方、集団側のメリットも必要だろう。労働者には、著しくサボる選択肢はいつもあるので、簡単に解雇できない集団側の立場が弱くなる。だから、労働者がサボったら、集団側が提訴して、裁判で解雇を認めてもらう選択肢を設ける。その場合、普通の支払う金額を大きく減額してもらうこともあろう。一方、「サボった」レッテルが欲しくない人は、退職するために提訴して、裁判所で許可を求める。これは、労働者を集団の圧力から守るための措置だ。裁判所で労働者が本当に退職したいことが確認できなければ、許さない。(集団の要望に気にしないこととする。)退職を認めたら、集団側には責任がある場合、退職金の一部の支払いを命じることができる。つまり、定年退職前に退職するために、提訴する必要がある。手間もお金もかかるので、多くの労働者が働き続けるだろう。これで、集団側も安心できる。

法的措置の詳細には、更なる検討が必要になるのは当然だ。片方にある程度不利益になっても、関係を維持することを促すためな措置だ。ある意味、結婚と離婚に近いが、双方の同意も裁判で証明しなけえればならない状態だ。関係の維持を確保するための措置を巧みに講じなければならない。

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