集団の法制

今までの投稿で、優れる利点がある集団を構成するための規制を掲げてきた。解雇や採用の制限もあるし、集団内の構成も制限されている。利点は多いが、もしかして能力に基づいて採用する集団とうまく競争できないだろう。実力が高い企業が有利になる傾向は強いのではないか。

だから、このような集団を可能としても、長く続かない可能性は高い。しかし、社会的な利益、特に平等への貢献は大きい。だから、法律でこのような集団の存続を確保したい。

集団の条件を見れば、果たせるのは大規模な集団のみだ。小規模であれば、休暇の職員の機能を補う余裕はないことは多いし、低能力の職員をフォローする人材もないだろう。小規模な集団をこのように集団にさせることはできない。

この事実を踏まえれば、提案が浮上するだろう。大規模な集団はこのような集団にならなければならない法律的な義務を課して、中小企業等に能力主義等を許す。

これで、まず「自立した企業」の定義を設定しなければならない。子会社になっていない、複数の会社や個人と取引して営業を行なって、一つの取引先からの売り上げが全体の3割を超えない会社は自立していると言えるだろう。この定義をさらに精密にする必要があるだろうが、このような考え方がいいと思う。つまり、経営の方針は組織の外の集団に大きく影響されていない状況である。中小企業は300人以下の規模または100人以下の規模で、現行の定義から始めても良いだるう。

このような設定があれば、大企業で研究開発を行うのは難しい。能力や知識を持つ人を選んで採用することは許されないし、企業内の配置によって研究班を作ることも許されないからだ。専門職は無理だ。その場合、中小企業が研究開発の役割を担って、商品化のために大企業と提携することになる。

もしかしてこれは大企業にも有利になるかもしれない。組織が大きくなれば、革命的な研究開発を避けるようになる傾向は顕著である。しかし、中小企業から開発済みの発明を商品化することはできる。実は、今でも製薬大手がこの戦略を活用している。(ただし、現在は中小企業を買収して商品化と取り組む。)

問題になりそうな分野は思い浮かぶ。例えば、大学で教授には能力や知識は必要だ。無作為で教授を選ぶわけにはいかない。病院は尚更だ。

このような問題の打破のため、二つの手法がいいと思う。一つは上記の通りの小規模な集団にこのような規制を課さないことだ。職員が100人を超えない病院は少なくないので、そもそも問題にならない。

もう一つは非営利法人の免除だ。つまり、非営利法人は規模を問わずに、その目的にそって人材を選ぶ権利を与える。学校法人であれば、知識を基準としても良い。宗教法人であれば、宗教的な条件を設けても構わない。これでも、規模の制限を撤廃するより緩和したほうがいいだろう。

これで、大企業が平等を支える集団になって、国の看板の一つになる。その周りに、中小企業が専門的な成果を売ったりして経営する。国民に、大企業で能力を問わない安定的なキャリアを選ぶか、中小企業で能力が影響する不安定なキャリアを選ぶかのような選択肢が提供される。社会の本格的な多様性が増すし、国民の機会の平等も確保される。

このような方針は、さらに検討することに値すると確信している。

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