周知の通り、「義務教育」の義務は、児童・生徒の受ける義務ではなく、社会の提供する義務を指す。そして、義務を果たすために、子どもに役立つ教育を提供する必要があるのではないだろうか。古代バビロニアの言語と石器の作り方を教えても、「義務教育」に値するとは言えないだろう。(面白そうだけど。)現代を生きる子供達の人生に役に立ちそうな内容でなければならない。 しかし、そのような内容は何だろう。 最近、人工知能の上達は飛躍的だが、それで露わになったのは、近い将来でも予測できないことである。将来の職業のために直接的に教えることは最早できない。児童が大人になる前に、想定した職業がなくなる可能性もあるし、根本的に変質する確率も高いからだ。 だから、教えるべき内容は、激変する状況に対応する技能なのではないか。簡単に考えれば、下記のようなことになろう。...
身を切る改革
「身を切る改革」を訴える政治家や政党は少なくない。多くの場合、それは議員数の減少と議員の収入の削減を意味する。 まずは、議員数の減少は身を切る改革ではない。むしろ、数が少ければ少ないほど、一人の議員の影響力が増す。そして、議員の数は少ないので、政党の執行部の管理が行き届く。つまり、これは政治家の個人的な力を増やすための方策であり、「改革」ではない。 議員の収入の削減は違うと思われるだろう。収入が減れば、議員が何かの損失を感じるのではないか、と。しかし、このような改革をやり過ぎたら、政治家に成れるのは、富裕層に限る。富裕層ではなければ、生きるための収入はないからだ。その上、富裕層であれば、議員の収入はそもそも大したものではないので、削減しても構わないという態度だろう。 だから、別な方向から「身を切る」べきだと私は思う。...
地方住民
日本では、地方の過疎化は深刻な問題である。解決するために多面的な方針が必要であるのは明らかだが、移民政策と連携して一助になるのではないかと私は思います。 新しいビザと在留資格の案である。基本条件は、過疎自治体に住まいを持つことだ。住民票の登録はもちろん、実質的な住まいも条件になる。それで、まず1年間の在留資格を取得して、過疎地域に住み続けば5年間に何回でも更新できる設定がよかろう。 もちろん、この条件だけは不十分だ。...
三次元の倫理
正義に基づいて明白な行動の基準を得られなければ、どうすれば良いのだろう。行動をその瞬間の勘によって決めても、基準を設けたので、基準なしにはできない。そして、基準は何にしても、間違える恐れがある。それはどうせ正義には限られない問題である。その瞬間の勘でも、間違えることはある。 その解決策として、三つの基準を同時に利用する案を掲げる。 その基準は自由、慈愛、持続である。併せて、三次元の倫理と名付けよう。 自由は、すべての人が自分の行動や人生を自分で決める状況を指す。人の行動を拘束せず、制限せず、抑制せず振る舞って、幅広い選択肢から選べさせるように努める方針である。 慈愛は、人の幸福を願って、実現しようとする行動を指す。 持続は、永遠の将来までこのような行動や社会が続けるように今現在の行動を慎む方針だ。...
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