義務教育の内容

周知の通り、「義務教育」の義務は、児童・生徒の受ける義務ではなく、社会の提供する義務を指す。そして、義務を果たすために、子どもに役立つ教育を提供する必要があるのではないだろうか。古代バビロニアの言語と石器の作り方を教えても、「義務教育」に値するとは言えないだろう。(面白そうだけど。)現代を生きる子供達の人生に役に立ちそうな内容でなければならない。

しかし、そのような内容は何だろう。

最近、人工知能の上達は飛躍的だが、それで露わになったのは、近い将来でも予測できないことである。将来の職業のために直接的に教えることは最早できない。児童が大人になる前に、想定した職業がなくなる可能性もあるし、根本的に変質する確率も高いからだ。

だから、教えるべき内容は、激変する状況に対応する技能なのではないか。簡単に考えれば、下記のようなことになろう。

まずは、勉強能力だ。特定の内容ではなく、新しいことを勉強する方法を教える。この能力があれば、新しい勉強方法も学べるので、著しく変動する世界にも対応できるためになる。

そして、健康維持能力。身体も心情も守って、力を持って世界に向き合うための能力だ。社会の医療費を抑える効果も期待できる。

次は、人間関係の技だ。人とうまく接するために、技が要る。そうできれば、人生が幸せになるし、暴力が減少するとも思える。なぜかというと、人生の不幸の多くは人間関係での失敗を要因とするし、暴力の動機も、多くの場合、より効果的なやり方がわからないことにある。

同じような範疇だが、育児方法も教えるべきだ。一般的な人間関係とは違うが、とても重要である。子育ては本能でできることではないが、うまくいけばまともな大人を育てる一方、失敗すれば将来の問題の種を蒔く。

上記の技能は激変する社会に対応するための技能である。知能的に、体力的に、社交的に変動に応じる力になる。最優先すべきだと思う。勉強能力の一部として、識字が入っているし、算数もある程度必要となるが、他の教科が大きく変わるだろう。

時間が残れば、社会での生活に必要な知識等を教えるべきだと思う。ここで法律、統計学、科学、地理、歴史等が含まれる。しかし、教えるのは、生活に役に立つ範囲までだ。授業のお陰で興味を持つ子どもにさらに勉強する糸口を示すことは、勉強能力の促進にもなるので、大歓迎だが、義務教育の限られた時間を役に立たないことに費やすわけにはいかない。個人的に私がいかに興味を持っているにせよ、だ。

社会での生活に必要な知識の優先順位が低くなる理由は、上記の通り、その知識の内容が児童が学校を卒業する前に変わるからだ。科学や統計学のように、教科の内容自体が変わらなくても、役に立つ部分が変わると思ってもいい。だから、最優先として、変動に応じる技能を教えなければならない。

具体的に教科の内容を考えない限り、そして教育現場で実践しない限り、上記の科目にどれほど時間が必要かはわからない。もしかして、時間が残って、百人一首を教える余裕があるかもしれない。

しかし、子どもに役立つ内容を優先するのは原則だ。時間が残らなければ、仕方がない。与えた勉強能力の駆使を期待するしかない。

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