外交には信念を持つのは重要であると多くの人が述べる。ただ国益を追求して、相手国の悪質な行為を黙認してはいけないと強調する。悪質な国を黙認するのは良くないことは明白に感じるが、実はこれは極めて難しい問題である。
まずは、「悪質な国」はどう言う意味でしょうか。刑法の違いで国が犯罪を認めるのは良くないと思ったら、大きな問題が発生する。アメリカで拳銃が憲法に保障された権利であることは周知の通りだが、日本に持ち込もうとしたら、違法になるし、アメリカ社会に悪影響を与えているのは明白だ。それだけではない。アメリカで治療薬として処方箋で入手した薬を日本に持ち込もうとしたら、覚醒剤所持として検挙されることもある。一方、日本で買った中学生向けの漫画をアメリカに持ち込もうとしたら、下手に選べば児童ポルノの密輸で逮捕されることも。(未成年者の裸が描写されたら、そうなる可能性がある。)
このような例は顕著だが、労働基準法の違いの方が重要なのではないかと私は思う。社会の構造を定めるからだ。または、プライバシー保護法の違いもある。このようなことを基準として、アメリカが悪質な国になりかけている。では、日本の国益を追求するためにアメリカと友好関係を保とうか?一方、このような問題を問題としなければ、何が「悪質な国」の基準となるだろう。
労働条件等を見逃すこととしても、弾圧はどうだろう。弾圧は、国家が不当な理由で人を逮捕したり刑罰したりすることを指す。だが、表面だけ見れば、上記の刑法の違いがすぐに弾圧の判断と繋がる。犯罪であるべきではないこと(例えば、拳銃の所持)のために人を逮捕して刑罰することは弾圧である。死刑がある国なら、国家が国民を殺すこともある。アメリカで、警察官が毎日平均で市民を3人程度殺すそうだ。それも弾圧だろう。
アメリカの社会には大きな問題があるとしても、外交を社さんすべきであると私は思わない。同じように、日本には拳銃所持権が「奪われている」と言えても、アメリカが日本との交流を断つべきではないだろう。しかし、そう認めたら、「悪質な国」を定義することは極めて難しくなる。
そして、もう一つの問題がある。ある国は悪質であるとしょう。(その詳細は未定だが、悪質な国は存在することは疑われないだろう。)どう対応すべきだろう。全ての交流を切断すべきなのか?だが、そうすればその苦しむ国民も孤立させる。それは良くないだろう。では、貿易などしようか。だが、それは悪質な国を支援することになってしまう。では、侵略して、国民を自由にしようか。日本はすでにその方針を試したことがあるが、効果もなかったし、日本に大きな被害をもたらしたし、それ自体には悪質な側面は多かったし、隣国に侵略すること自体は悪質な国の印でもあるし。
一方、口頭で「あれは悪いよ」と言いながら、貿易や交流を発展させたら、それは事実上の黙認に等しいのではないか。確かにうるさくほど「認めない」と強調するが、無視されても何もしないので、相手国が無視するのは決まっている。言葉以上の対抗策を取るべきだろう。
さらに、自国の国民に対する態度も問われる。国の判断で国民の自由を制限することも良くないが、自由に外国に渡航させたら、悪質な国を訪れて、その国の経済に貢献することはある。国民の活動を制限すべきなのだろうか。
普段、「信念を持って行動すべき」と言う意味は、「私が反対する方針をとる国に抗議しろ」と言う意味になるのは言うまでもない。一貫してその方針を導入したら、外交を完全に遮断することになってしまう。それでも、何でもかんでも黙認する態度も良くないだろう。
ここで、この問題についてちょっと考えてみたい。