外交の行動で、何が第三国の関与の根拠になり得るかを論じている。今まで、言葉での批判が根拠になり得ないと述べた。言葉だけで批判して、貿易や交流を通常のままにすることは、矛先になる国の反発を招くかもしれないが、当事者の国の制裁の根拠にさえなり得ない。適切な反発はまた言葉であると言えよう。
言葉を超えて、優遇を撤廃することに、第三国の関与の根拠になり得ないとも論じた。相手国でも、優遇撤廃や言葉の批判以上の反発は不適切だろう。
一方、軍事的な侵略は関与の根拠になり得るとも述べた。
では、他の行為は如何だろうか。私は、他の行為は関与の根拠になり得ると思う。この記事で、それを論証するつもりだ。
前もって、明らかにしたい点がある。或る行為が関与の根拠になり得るからと言って、関与すべきであるとは限らない。その行為を妥当と判断すれば、手を出さないか、参画するかという選択肢もある。自分で同じような行為を取らなくても、その他国に相当な理由があるので、傍観することにとどまる場合もあると予想できる。根拠になり得るというのは、根拠になるとは違うし、根拠になっても行動に移さないこともある。そのような問題は、後ほど論じたいと思う。
この点を念頭に置いて、根拠になり得る行為を考えよう。そうするために、外交の行為に基づいた関与の目的を確認しなければならない。その目的は、正当な国際環境を保つことなのではないだろうか。つまり、国はなるべく自由に取り合える環境を維持するために、その環境を乱す国に対して罰を与えることは関与の目的だ。それで、正当な環境を回復しようとする。
これは、言葉や優遇撤廃が関与の根拠になり得ない理由でもある。正当な国際環境で、堂々と他国の行為を批判することはできる。そうできないと、まだ深刻になっていない問題に対して戒めないので、状態が悪化する。批判される国は反発するだろうが、それも言葉を超えない限り、正当な環境は維持されている。
同じように、優遇を自由に決める必要がある。国では、選挙で政権が変わって、或る優遇に対して国の態度が一変することもあるが、それは許すべきである。正当な環境の中で特別に親しい関係を育んだり、離れたりすることは人間の行動に喩えられるが、国も同じようなことをする。
そして、他の行為はその正当な環境を乱す恐れがあると言えよう。軍事侵略は明白な例だが、貿易や人の流動を制限することも同じである。程度は違うが、正当な環境を崩す行為である。或る国を普通な行動ができなくさせることだから、正当な環境は損なわれる。だから、回復させるために関与しても良い。
もちろん、言葉での批判や優遇の停止等の関与に値しない抵抗措置も考えるべきだ。本格的な関与自体も正当環境を乱すので、気軽にやるべきではない。しかし、正当な環境を維持するのは重要だから、長期的に維持するために短期的に乱す選択肢もある。
それで、具体的に論じるために、正当的な環境をより具体的に描写しなければならない。それは、次回の記事で取り組みたいと思う。