この投稿の題を読めば、「環境問題」との関係はすぐに思い浮かばないかもしれない。しかし、肉食は環境問題と深く関わっている。
基本的に、地球にある生命がエネルギーを太陽から得る。(特別な生態系は例外であるが、その例外は非常に少ないのだ。)太陽のエネルギーを直接的に使うのは植物である。太陽光を使ってブドウ糖などを合成して、それに基づいて生命を送るための費やすエネルギーも、植物の茎や葉を作るためのエネルギーも得る。そして、動物が植物を食べて、茎などに蓄えられたエネルギーの一部を得て、自分の生活に費やしたり、自分の体の肉や骨にしたりする。その上肉を食べたら、エネルギーを得ることはできるが、太陽のエネルギーの大半は途中で費やされてしまった。太陽のエネルギーは平等に地球の面責に配分されているが、(実は、北極や南極に近づくと面責当たりのエネルギーが少なくなるが、同じ緯度であれば、密度は同じ)人間に同じエネルギーを届けるために、肉経由ですれば必要な面積は植物経由より10倍程度であると言われる。その面積を農業に使うため、環境へ大きな影響を与える。
日本はもしかしてこの問題を一番実感しにくい国だろう。日本の景色をみれば、農場に占められた割合は低く見える。確かにその通りだが、日本の自給率は4割程度だから、外国の国土を大きく利用している。この利用は、自然破壊に直接的に繋がっている。森の伐採とか、沼の埋め立てなど。
肉の食べる量を減らせば、この問題を緩和することができる。魚も、過剰獲得のため問題になりかけていることは多いので、それも減らさないと、食べる種類が自然に絶滅する恐れがある。(前例は少なくないし。)
肉を完全に禁じるべきという人もいるが、私はそう言わない。文化の問題もあるし、家畜として保たれる動物の種類の絶滅にも配慮しなければならない。牛肉を完全にやめたら、牛が生き残るかというと、危ういのではないか。しかし、肉の食べる量を大幅に減らすべきであるのは間違いないだろう。
自治体ができることは、まず学校の給食や行政施設の食堂を完全に植物系の料理にすることである。「植物系」というのは、野菜ばかりではない。大豆で作られた肉に感じる食物もあるし、さらに「本物」の肉に近い食品の開発と取り組む企業もある。このような食品を提供すれば良い。
この話題でも、社会の構成の問題がある。肉や魚や乳製品を完全に回避することは極めて難しいし、お金がかかる。お金も時間もない人はできない。しかし、行政が給食や食堂に導入すれば、その食品の普及を促すので、肉の費やす量が自然に減り始めると思える。その上、行政区内の外食店には少なくとも一つの献立になる植物系のメニューを提供することを義務付けたら、どこで食べてもその選択肢があることは確保される。
環境へのいい影響に加えて、好ましい副作用がある。宗教のため、豚肉または牛肉を食べない人もいる。このような人は、日本にも住んでいる。学校の給食で困ることがある。しかし、特別に宗教的に食べられる食事を学校で提供することは、憲法に抵触する恐れがある。宗教に基づいた特別扱いであるからだ。(宗教的な少数派の代表者会議は無理である理由と基本的に同じである。)幸い、植物系の食事を制限する宗教は殆どない。だから、環境問題の解決のために植物系の給食を導入すれば、宗教の問題も解決するし、憲法上問題になる恐れは一切ない。
この政策の導入には、意外と時間がかかると思う。新しい献立を用意して、材料の供給を確保して、全行政区規模まで拡大することには、数年間がかかると予想する。だから、段階的に導入するのは適切である。週一回でも、環境への被害を軽減するので、それから始まってもいいのである。6年間で完全に実現できるのではないかと思うので、一人の児童の小学校生活の間に達成するだろう。環境問題にも、多宗教共存にも、日本の自給率にも、さらに住民の健康にも貢献できる政策なのである。
お弁当を持参して下さい。
アレルギーでも宗教上の理由でも、其れを根拠に圧倒的少数派が『日本』の教育行政に無理強いするのは認められません。それこそ個別に対応したら埒が明きませんし、コストも上昇します。
そしてコスト(労力)が上がれば環境に負荷が掛かります。本末転倒です。
なにより、無味乾燥な食事は学業にも影響を及ぼすでしょう。
給食は食育も然ることながら、経済面も考慮に入れ地場地消を図っています。
そして食育とは、地元ではこの様な食材が生産されている、この様な料理もあるなど郷土心を育む教育の延長線上なのです。
我国は発展途上国に多大なODAを行っています。殆ど出稼ぎでしょう。
そのような途上国出身の人間があれやこれやと口を出したり、掣肘するのは烏滸がましく畏れ多いことであり、内政干渉です。郷に入れば郷に従うべきです。国民でないものが行政に干渉するべきではありませんし、また配慮する必要もありません。超低金利で資金を融通し、母国の興隆に寄与される立場を弁えるべきです。
軒先貸して母屋を取られる、併呑される可能性を考慮した故。
>そして100か所のモスクのうち、41か所のモスクで説教を行った導師の話した内容が、急進的で過激だったという。特に金曜日の礼拝では他宗教の否定的な側面を強調したり、カリフ制に基づくイスラム国家建設を訴えたり、さらにヘイトスピーチも含まれる極めて危険な内容だったという。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/07/post-10587_2.php
NISAやっているのだけれどやってみたら。子供向けNISAもある。
https://www.fsa.go.jp/policy/nisa2/about/junior/index.html
https://www.fsa.go.jp/policy/nisa2/case/education/index.html
コメントをいつもありがとうございます。今回、ちょっと賛成できない内容も含まれています。
先ず、給食を提供する公立学校で、普通に弁当を持つ許可は子供に与えていません。特別に宗教に基づいて許可を与えれば、それでも憲法に牴触する虞がある。日本の政教分離は非常に厳しいです。それで問題にならなくても、子供は親によって無理矢理日本に連れられましたので、子供の負担を考える必要がある。食事の時間で区別された子供が孤立して、いじめの的になる恐れがありますので、気をつけなければなりません。とは言っても、コストの問題もありますので、個別に提供せずに、誰でも食べられる給食を提供したら問題にはなりません。日本では、肉は入っていない郷土料理は少なくありません。つい最近まで、肉や魚を食べることはちょっと贅沢でしたし。
移民一般ですが、合法の移民は住民であるので、配慮すべきだと思います。特に国家に誘われた移民はそうです。確かに、私は移民に対して肯定的で優しくなるのは当たり前でしょうが、複雑で重要な問題ですので、後ほど本文で扱わせて頂きたいと存じます。
NISAのことは、検討します。最近、再検討した方がいいと思ってきましたので、ちょうどいい刺激になりました。