チャート 出意人

環境条項

最近、国の憲法に環境条項を盛り込む動きが強まっているのではないかと感じる。 環境を保護するために、できれば迅速に新しく発見された事実に対応すべきであるが、憲法に記載されていなくても、国家はこのような対応に成功しているとは到底言えない。対応できる前に憲法改正が必要となったら、もう終わりだ。だから、憲法に条項を加えたら、特に抽象的にすべきである。 文言で問題を特定せずに、対応を特定せずに、有意義な制限を国に課すことは容易ではなかろう。司法の解釈が重要になるのは避けられないので、憲法で裁判官がどのような事実を考察して判断するか、そしてどのような行為について判断するかを明記すべきである。...

教育権利

憲法改正で教育の充実を確保するような動きも自民党にも見える。 これも、私は賛成する。 子供に十分な教育が無償で与えられるような義務を国家に課すのは良い。そして、そのために国民に自分の子供の教育を確保するような義務を法律で定める許可を与えることも良いのである。原則として、現行の憲法のように憲法で国民に義務を課すのは良くないが、行政にその義務を課す許可を与えれば、別な条項の摩擦で義務教育が違憲にならないようにできる。(税金も同じである。憲法で税金を支払う義務を課すべきではないが、憲法で法律でその義務を課す許可を与えるのは良い。)...

家族条項

保守派が憲法改正を論じる場合、家族条項を提案することがある。この条項で、家族がお互いに支え合う義務を課すなどの提案がある。 このような案に私は猛烈に反対する。 まずは、憲法の役割に合わない。行政や立法の行動を制限しない。国民を束縛しようとすれば、普通の法律を利用しても良い。その制限が憲法の保障する権利に違反すれば、やめるべきである。 普通の法律でも、このような法律は大きな間違いであると思わざるを得ない。家族の絆を法律で義務化することはできない。「愛し合え!」と叱っても、効果はない。...

事後の行政責任

非常事態に対応するために住民の権利を侵すことは許される。その必要性を認めなければならないが、行政の事後で償う責任も認めざるを得ない。特定の人に大衆のための行動の負担を完全に転嫁することは許されない。 基本的な賠償は、行政の行動が適切だった場合にも認めるべきである。非常事態で事前交渉や不服申し立てをする余裕はなかったので、行政は潔く賠償を払うべきである。原則として、裁判も申請も待たずに払うべきなのではないか。行政側で、何をしたのは把握するので、すぐに賠償できる。もちろん、住民が不満を感じたら訴訟しても良いが、行政の行動から被った被害に対して、訴訟や申請の負担を課すべきではない。...

非常事態の下の人権

非常事態で人権が制限される。それは非常事態の意味である。普段、国民の権利を侵さないように様々な措置は導入されているが、非常事態ではそれは一時停止される。例えば、意見募集の義務などは、非常事態で停止される。救済する前に某日間の意見募集期間を設けることはできない。 しかし、全ての人権を停止するわけにはいかない。非常事態の目的は住民を守ることであるので、被害を与える状態を避けなくてはならない。 まず、表現の自由と言論の自由を制限すべきではない。行政の対応の批判を特に自由とすべきである。不適切な批判が発生するのは確実であるが、行政がそれを無視して働くことはできる。風評被害や不適切な情報に基づいた混乱は恐るべきであるが、基本人権を制限することは適切な対応策ではない。...

非常事態の宣言と権力

現在の憲法改正議論で、非常事態条項の問題も挙げられる。大規模災害などで、普通の権利を制限して、より効率的に救済できるようにするためである。これ自体には私も賛成する。非常事態が発生すれば、対応するために非常なことをしなければならないことは予想できる。ただし、その詳細は懸念になる。これで、憲法の役割を忘れてはいけない。憲法は、行政の権力を制限する。その制限を撤廃してはいけない。 第一の問題は非常事態宣言である。この宣言する権利を、一人に委ねるべきである。(もちろん、指定した人ができない場合、当然権利を受け継ぐ人も指定しなければならない。)なぜかというと、非常事態に対応するために、すぐに動かなければならない。監視などは事後に行使するのは適切だが、事前に要求することはできない。非常事態宣言の意味がなくなるからである。災害の質によって、閣僚を集めて閣議決定を確保することもできない場合もあろう。...

自衛隊明記

今現在の憲法改正と言えば、自衛隊明記の案だろう。安倍総理大臣がその方向に向けて憲法改正を推し進めようとしている。具体的に考えるために、憲法9条が下記の通りになるような改正案を考えよう。 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段として、永久にこれを放棄する。 ② 前項の目的を達するために、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ③ 国外の武力の脅威から国民の健康で文化的な生活を守るために、自衛隊を保持する。 文言はまだ決まっていないが、安倍総理大臣の改正案はこの趣旨になるようである。 このようなことなら、私は賛成する。...

憲法の役割

憲法が具体策のカテゴリーに現れると、違和感を抱える人もいるだろう。しかし、具体策であると強調したいのである。憲法は理念ではないのだ。 憲法の役割を簡単に言えば、行政と立法府とを束縛することである。司法や一般国民を束縛するのは一般の法律だが、特に立法府は一般法律を変えることができるので、基本的に束縛されていない。行政は直接に法律を変えることはできないが、立法府に強い影響を与えることは多いので、間接的に変更できることは多い。そして、民主主義の国家で、国民の過半数を束縛する役割もある。これも、国民の過半数には法律を変える権力があるからだ。 この機能はなぜ必要なのだろうか。 ヒトラー ヒトラーは、総選挙に勝ってドイツの首相になった。民主主義も間違える。歴史的に残酷で悲惨な結果のある間違いもあり得る。憲法の役割は、そのような間違いの可能性を抑えることである。...

穢れと祭り

惟神の道であれば、穢れと祭りの関係を考えなければならない。 基本は、祭りは穢れのない行動である。穢れのない場所で穢れのない人によって執り行われる。 産霊は祭りの中で確保できる存在ではない。祭りで促進するのは良いが、祭りがある戦略の一環に過ぎないと思われる。だから、祭りで主に汚れが気になる。 そのため、斎場を物理的に綺麗にするし、祭員を物理的に綺麗にする。そして、祭具などを適切な場所に置いておく。 汚れを避けるために、全てが適切な場所にいるのは重要である。その上、参列する人が皆そのように感じるのが重要である。つまり、適切は場所や所作を知っているし、目の前でその通りになっていることが確認できることは祭りに重要である。...

他人の穢れ

「他人」というのは、自分と結びを持っていない人を指している。そのような人の穢れをどう考えれば良いのか。 原則はすぐに言える。どの人でも、穢れはないように行動すべきである。惟神の道で穢れを忌み嫌うが、それは自分の穢れに限ったことではない。 但し書きが必要となる。 先ずは、他人の穢れを自然に忌み嫌うとは言い難いのである。自然な状態は、気にしないことだろう。他人は、結びを持っていない人だから、その人の穢れはなんで気になるのかと問われてもおかしくはない。 自然ではないとしても、自分の行動で他人に穢れを齎さないように気をつけるのを惟神の道の重要な一部としたいのだ。...

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