禊祓の目的

神棚祭祀以外の禊祓も家庭祭祀の一部として導入すれば良いと思う。それは、当然穢れの対策である。

まずは、汚れた体を綺麗にする必要がある。普通の沐浴は禊の重要な一部である。そして、この目的を家庭の中で重視するのも良い。汚れの穢れも重要な穢れであるので、惟神の道を歩めば、体を物理的に綺麗にすることも重要。

これは穢れを実際に祓う役割である。体を洗ったら、汚れの穢れは洗い流されるので、穢れがなくなる。しかし、これで止まらないと思う。穢れについての投稿で論じたが、穢れを無くすために、原則としてその穢れの実態を直すべきである。病気になったら、治るのが良い。生活が乱れていれば、その乱れを直す。体が汚れたら、洗う。この原則を忘れてはいけない。このような問題と取り組まずに儀式に依存すれば、結局穢れが溜まるので、悪影響が時間と共に大きくなる。

しかし、どの穢れでも、解消するために時間がかかるだろう。友人との結びが乱れたら、一瞬で直せるわけでは無い。同じように、病気が治るまで時間がかかる。解消と取り組んでいる間に、努力が必要となるが、前進しない場合、気力が低下したり、絶望することもある。そうなったら、問題を放置して、そのままにしてしまうことは少なく無いだろう。穢れを解消することは容易では無い場合も少なく無い。解消策が見えない場合さえある。実際に解消策は存在しないこともあろう。例えば、癌に患われたら、治療法はない場合もある。また、社会の構成と自分の本音が合わない場合、穢れが発生し続けて、社会が変わらない限り解消策はない可能性にも向き合えないといけない。

もう一つの範疇は過去の穢れである。過去は変えられないので、過去に根付く穢れは解消できない。過去の出来事は現在に影響を及ぼすのは勿論のことだが、その影響を可能な限りよくした場合でも、過去の穢れが心に残ることはある。

このような苦闘で気分が落ち込むことは当然であるが、それで直せるところも直せなくなる。これで、禊祓の儀式の機能を期待する。

その機能は、精神的な雲や霧を一旦吹き払って、現状をはっきり見させることである。それでできることもできないことも分かる。できることがあれば、さらに取り組むが、即時解消を期待しない。できることは何もない場合、その精神的な穢れがただ無くしたままになると良い。

毎日このような状態にしたら、無駄な努力に滞らないだろうし、もう何もできない精神的な穢れは次第になくなると思える。そうなれば、儀式が実際の穢れの減少に貢献する。

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