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共同体意識

アメリカの文化と日本の文化を対比する際、アメリカは個人主義で、日本は集団主義であるとよく言われる。もちろん、これほど簡潔ではないが、完全な的外れでもない。日本で、共同体意識がアメリカより重視されている。 共同体意識とは、自分をある共同体の一員として感じて、共同体の利益のために当然動く精神である。自分の利益と共同体の利益に優先順位をつけるのは難しい場合があるだろう。共同体の利益を優先するとは限らないが、少なくとも共同体の利益も確保するように動く。重要なのは、共同体の利益を当然考えることである。...

真面目に

日本人が真面目になんでもやるのは有名だろう。最近、そうではないニュースは多いような気がするだろうが、例外なしに真面目にするはずはないし、珍しい出来事がニュースになるので、もしかして原則としてそう考えても良いだろう。私の日常生活で、周りの人が真面目にしてくれる印象はまだ強い。 「真面目にする」というのは、具体的にどのようなやり方を指すのだろう。 まずは、規則に従ってやることを意味するのではないか。規則を無視して行動すれば、効果的になる場合は確かにあるが、「真面目にしている」とは言えない。むしろ、「真面目ではなくても、場合によって良い」ということになる。しかし、それだけではない。完全にマニュアル化した作業を「真面目に」しているとも言わないのではないか。マニュアルに「いらっしゃいませ」というように指定されているので、そういう。不真面目まで言えないとしても、真面目に足りないだろう。...

寛容と迷惑

寛容な心と迷惑をかけない精神は表裏一体の関係にある。一緒になれば、意志の尊厳の大きな支えになる。 まず、大前提を確認したいのである。人間は皆同じではない。その結果、個人個人の意志を尊重すれば、人はそれぞれの独自の行動に動き出る。甲さんの行動は乙さんにとって好ましくない場合もある。それより、甲さんにとって、乙さんの行動は許し難い行動である場合もある。しかし、甲さんの行動が実際に他人の意志を制限しなければ、止めてはいけない。意志の尊厳を侵すからである。 しかし、これは難しい。それほど嫌な行動と一緒に生活を送るのは無理に近いのではないか。やめてもらわなければ耐えられないと感じる場合もあるだろう。これで対立が発生して、先鋭化する社会摩擦も生じる。どれほど社会問題に発展できるかわかろうとしたら、現在のアメリカを見ても良いのである。...

支え合い

支え合いの精神は、特に自然災害の後で見られることであろう。しかし、緊急時に限ることであるわけではない。共同体などの中で、一人の問題を皆で解決する意識であると言えよう。日本では確かに強い意識であるし、災害と水田の影響で発生したと言われる。災害に対応するために、一緒に取り組まないと何もできない。同じように水田は、村全体の作業である。 この精神を否定する人もいるようである。人間は、いつも人間同士で競争すると主張する人は少なくないだろう。確かに競争する心理も人間の要素の一つであるが、全てではない。他人を助けようとする心理も本当であるし、競争の心理に劣らないと思う。助けを求める人を助けない場合は多いと言われれば否めないが、人間の主な弱点はもしかして努力を避けたい精神で、めんどくさいだと思って、支え合いも競争も避けてしまうことがあるのではないか。だから、支え合いの実現を期待することは十分できる。...

話し合い

日本で、問題を話し合ってから取り組む習慣があると言える。記紀神話でも、神様が何かを勝手に決めることは少なく、神同士で話し合ってから決めることは多い。近代の政治にも、五箇条のご誓文には話し合いの重要性は謳えられているし、明治憲法にも現行憲法にも国会が重要な役割を占める。現代なら、何回も打ち合わせしてから、根回ししてから、話し尽くしてから決める傾向は強いのではないか。このために迅速に対応できないと批判される場合さえあるが、話し合いの重要性は否めない。...

環境問題と転嫁

環境問題が叫ばれて久しい。例えば、現代の生活の為に電力は必要不可欠である。しかし、化石燃料で火力発電から得た電力の副作用として、気候変動が進んでいる。生活の負担の一部を転嫁しているし、それは負担を背負う人を軽蔑することとなる。気候変動の場合、国全体が沈む島国の国民は顕著な例であるが、バングラデシュは高潮などの洪水に対して脆弱であると言われるので、そのような国も大きな負担を受ける。多くの利益を得ているのは別の国の住民であるのは言うまでもない。温度変化を1.5度以下に抑える為に、社会構成に大きな変化は必要であるが、すぐに実現できるとは思い難い。今までの実績を見ればそう思ってくるが、深層な理由も考えれば、同じ結論に導かれる。...

損害賠償と転嫁

損害賠償の基本的な目的は転嫁を救済することであると主張したいのである。 甲さんが自分の生活を送っている。普通に責任を持って、周りの状況に気をつけて活動するが、なんの活動であってもリスクが伴う。運が悪く、そのリスクが実現するとしよう。その場合、損害を負うのは甲さんであれば、特に問題はない。可哀想に思われることは多いだろうが、自分の生活の負担を負うのは当然だろう。しかし、場合によってその負担が他人、乙さん、の負担になってしまう。交通事故は想像しやすいだろう。路面が凍ったせいで事故を起こして、自分の車を破壊して、自分に傷を与えれば、共感する人は多いと思うが、問題にならない。一方、その事故で乙さんに怪我をさせたら、問題になる。自分の負担を転嫁したからである。...

搾取の転嫁

搾取の転嫁が他の転嫁と違う。他の転嫁で、或る人が自分の利益のための負担を別の人に転嫁するので、その他人には損害がある。搾取では、その他人にも利益がある。ただし、利益の分担は著しく不公平であるので、転嫁する人が不正に利益を占める。...

負担の転嫁

負担の転嫁は転嫁の一番分かりやすい種類なのではないだろうか。自分が利益を得るために、ある負担は必要であるが、その負担を勝手に他人に転嫁することを指す。そして、例として公害は分かりやすいだろう。工場や鉱山で何かの商品を用意する過程で廃棄物が発生するが、その廃棄物の処分の負担は、公害として周りの住民に転嫁する。 このような転嫁を防ぐために、公害を規制するべきだと言えよう。詳細は個別に決めなければならないが、一見で簡単な問題に見えるだろう。公害を禁じたら充分なのではないかと思われる。しかし、一般的に問題点を挙げることはできる。...

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