損害賠償と転嫁

損害賠償の基本的な目的は転嫁を救済することであると主張したいのである。

甲さんが自分の生活を送っている。普通に責任を持って、周りの状況に気をつけて活動するが、なんの活動であってもリスクが伴う。運が悪く、そのリスクが実現するとしよう。その場合、損害を負うのは甲さんであれば、特に問題はない。可哀想に思われることは多いだろうが、自分の生活の負担を負うのは当然だろう。しかし、場合によってその負担が他人、乙さん、の負担になってしまう。交通事故は想像しやすいだろう。路面が凍ったせいで事故を起こして、自分の車を破壊して、自分に傷を与えれば、共感する人は多いと思うが、問題にならない。一方、その事故で乙さんに怪我をさせたら、問題になる。自分の負担を転嫁したからである。

損害賠償は基本的にこのような問題を解決するための措置である。普遍的に考えて、このような状況で誰が何を負担すべきかを決めるのは、裁判である。このように考えれば、何も悪いことをしていない人に損害賠償を命じるのは当然である。損害賠償は罰ではない。被害者の慰謝料でもない。ただ負担を適切に分担するための措置である。過失などの存在も必要としない。

損害賠償の大半は金銭になるが、弁護士の友人が言った通り、それは金銭を重視するからではなく、普通に金銭以外の方法はないからである。行動を命じることもあるが、多くの場合、行動が必要になるとしても、加害者に行ってもらうべきな場合は少ない。その場合、代行させるために金銭をとる。金銭以外の行動を命じる権利を残した方が良いのではないかと思うが、損害賠償の大半は賠償金になるに違いない。

このような転嫁の特徴は、普通に発生しないこと、そして特定できる人物に集中的に負担を負わせることである。公害のための賠償金を命じるのは難しい。被害を負った人を特定することは難しいし、適切な金額を指定することも難しい。確かにこの方法を使ったケースがあるが、その殆どは被害者が特定できた場合である。多くの汚染を別な措置で対応すべきだと思う。

被害者の立場から見れば、損害賠償をなるべく早く決めて欲しいが、加害者から見れば、適切に決めて欲しいのである。この場合、加害者が悪いことをしたわけではないので、加害者も被害者と同様に保護すべきである。転嫁を防ぐために、被害者側に偏るべきであると言えるが、加害者保護策も考えなければならない。

その一つは保険である。賠償保険を持っていれば、賠償金は自分の被害として感じない。そして、社会的に賠償金を払ったことは悪いことをしたと意味しないように努めたら、被害者を重視しても加害者の負担にはならない。その上、賠償保険を義務付けても良いのである。現在でも、車を運転すると保険は必要である。それは、転嫁の賠償ができるためである。旅行を案内する場合も、イベントを開催する場合も、保険を持たなければならない。

これは現状とそれほど違わないと思うので、もしかしてこの分野について具体策を提案しない。ただし、どうやって理念の中に位置付けられているのかを明白にしたく、この記事を投稿する。

2 コメント

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

  • 疑わしきは罰せず、殺人でも加害者を保護の元に死刑を廃止するべきだろうか。
    冤罪の可能性も捨てきれないし、当然被害者に過失がある場合がある。
    この場合は情状酌量する必要が生じ無期懲役となる。

    欧米謝国を中心に死刑を廃止しろと槍玉に挙げられるが(キリスト的価値観を押し付けているか、またはスケープゴートにされているだけか、それ以前に欧米各国は即射殺するのに何故死刑が駄目なのか)、他の法律との整合性も問題となる。

    効用性を重視するのならば、反社会性人格障害者など矯正困難で娑婆に放たれたらまた重大犯罪を引き起こす場合もあるし、なにより日本は立憲君主国家なので、権威を保つために再度大逆罪を制定する為にも死刑は必要。

    保険もその保証する損害件数が増えれば、当然保険料は上昇し、他の加入者の負担となる。
    とすれば結果的には加害者の負担となる。

    • 私は、死刑に反対します。いつか投稿になるでしょうが、簡単に言えば効果は疑わしいですが(研究で、死刑があれば犯罪が抑止されることは証明できなかったようです)、冤罪の末人が死刑になったことはあったのは確実です。無期懲役の選択肢が存在する中で、死刑を維持することは正当化できないと思います。国家の権威を人を殺すことで誇示する必要も感じません。しかし、これは本当に「簡単に言えば」にすぎませんので、後ほど詳しく書かせていただきたいと思います。

      保険ですが、保険が正しく講じられたら、結局自分の行動の客観的なリスクの分しか負担しないことになります。運悪く、自分の行動他人に被害が発生すれば、保険の支援で贖うことはできます。事故を起こさない人でも、リスクの部分を負担しても公平であると私は思います。

チャート 出意人

最近の投稿

最近のコメント

アーカイブ

カテゴリー

メタ情報