負担の転嫁

負担の転嫁は転嫁の一番分かりやすい種類なのではないだろうか。自分が利益を得るために、ある負担は必要であるが、その負担を勝手に他人に転嫁することを指す。そして、例として公害は分かりやすいだろう。工場や鉱山で何かの商品を用意する過程で廃棄物が発生するが、その廃棄物の処分の負担は、公害として周りの住民に転嫁する。

このような転嫁を防ぐために、公害を規制するべきだと言えよう。詳細は個別に決めなければならないが、一見で簡単な問題に見えるだろう。公害を禁じたら充分なのではないかと思われる。しかし、一般的に問題点を挙げることはできる。

まず、「負担」の区別は必ずしも簡単ではない。例えば、二酸化炭素の排出を考えよう。これは人間が普通に吐く気体である。そして、大気に依然存在する。だから、100年前に工場や発電所から出しても、問題であるとは誰も思わなかっただろう。しかし、研究が進むと、気候変動という大きな問題の原因であることが分かった。このような現象は二酸化炭素に限るわけではない。今も気にせずに排出している別な物質も、将来に有害であることは判明されるだろう。対策として、どうすれば良いのか。

すぐに言えるのは、負担であることが分かった物質を規制するのは妥当。まだ判明できていない物質は、抑えた方が良いのではないかと思われるが、抑えることにも問題点がある。生産などが一般社会にも利益を齎すので、無理のある規制で事実上禁じたら、それは意志の尊厳に違反する。作ろうとする人の意志を尊重しないし、買って使いたい人の意志も軽く扱われているからだ。「念のため」はそう簡単に通れない。全ての廃棄物の有害性を調べることさえ、難しいのである。物質の種類は多いし、検査には時間も努力もかかるからである。

そして、ようやく有害であることが分かった物質を、どれほど制限すべきなのだろうか。社会の中で活動すれば、その波紋が広がって、他の人に負担を課す。転嫁を一切禁じようとしたら、事実上の活動禁止となる。社会の中で生活を行うと、他の人から軽微な負担を受け入れるべきなのである。問題はもちろん、或る負担は軽微であることを保障するための規制である。公害の量を抑える必要があるが、ゼロまで抑えなくても良かろう。ゼロにするために莫大な費用が必要になる場合は多いですので、事実上の活動禁止令になってしまうケースは多い。

それでも問題が発生する。負担は一般的に軽微であると認めても、ある人にとって重い場合もある。交通事故が例となる。交通事故は乗用車の便利さの負担を被害者に転嫁することとして考えられる。一般的に考えれば、ある程度の死亡率を認めることにされている。(そのように書けば、抵抗感を抱く人は少なくないだろうが、社会としてそうなっている。乗用車の便利さを得るために、毎年数百人の子供の命を犠牲とする。)このような問題は損害賠償でも考えるが、死亡の賠償はできないので、問題が難しくなる。例えば、癌を発生させる確率が低い公害を認めても良いかもしれないが、そうしたら癌が発生する人もいる。それはその人の運が悪いが、本人にとってそれは言い訳にはならない。一方、排出量をゼロとすることは、事実上の活動禁止令になることは変わりはない。

このような問題は個別に考えなければならない。活動の重要性、負担の重さ、転嫁の範囲などによって判断が左右されるので、一般に結論を出すことはできない。ただし、慎重に考えるべきであるのは間違いない。

2 コメント

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  • 自分はコーヒー粉を天日干しにして捨てています。少しでも燃焼効率を高めるためです。
    缶や瓶も洗い、紙も分別しています。実は日本の古紙は品質が高く輸出されています。

    • そのような行動を考えています。そのように動けば、転嫁する負担を抑えることができますので、社会にとっていいことですね。

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