6月 2018

話し合い

日本で、問題を話し合ってから取り組む習慣があると言える。記紀神話でも、神様が何かを勝手に決めることは少なく、神同士で話し合ってから決めることは多い。近代の政治にも、五箇条のご誓文には話し合いの重要性は謳えられているし、明治憲法にも現行憲法にも国会が重要な役割を占める。現代なら、何回も打ち合わせしてから、根回ししてから、話し尽くしてから決める傾向は強いのではないか。このために迅速に対応できないと批判される場合さえあるが、話し合いの重要性は否めない。...

環境問題と転嫁

環境問題が叫ばれて久しい。例えば、現代の生活の為に電力は必要不可欠である。しかし、化石燃料で火力発電から得た電力の副作用として、気候変動が進んでいる。生活の負担の一部を転嫁しているし、それは負担を背負う人を軽蔑することとなる。気候変動の場合、国全体が沈む島国の国民は顕著な例であるが、バングラデシュは高潮などの洪水に対して脆弱であると言われるので、そのような国も大きな負担を受ける。多くの利益を得ているのは別の国の住民であるのは言うまでもない。温度変化を1.5度以下に抑える為に、社会構成に大きな変化は必要であるが、すぐに実現できるとは思い難い。今までの実績を見ればそう思ってくるが、深層な理由も考えれば、同じ結論に導かれる。...

損害賠償と転嫁

損害賠償の基本的な目的は転嫁を救済することであると主張したいのである。 甲さんが自分の生活を送っている。普通に責任を持って、周りの状況に気をつけて活動するが、なんの活動であってもリスクが伴う。運が悪く、そのリスクが実現するとしよう。その場合、損害を負うのは甲さんであれば、特に問題はない。可哀想に思われることは多いだろうが、自分の生活の負担を負うのは当然だろう。しかし、場合によってその負担が他人、乙さん、の負担になってしまう。交通事故は想像しやすいだろう。路面が凍ったせいで事故を起こして、自分の車を破壊して、自分に傷を与えれば、共感する人は多いと思うが、問題にならない。一方、その事故で乙さんに怪我をさせたら、問題になる。自分の負担を転嫁したからである。...

搾取の転嫁

搾取の転嫁が他の転嫁と違う。他の転嫁で、或る人が自分の利益のための負担を別の人に転嫁するので、その他人には損害がある。搾取では、その他人にも利益がある。ただし、利益の分担は著しく不公平であるので、転嫁する人が不正に利益を占める。...

負担の転嫁

負担の転嫁は転嫁の一番分かりやすい種類なのではないだろうか。自分が利益を得るために、ある負担は必要であるが、その負担を勝手に他人に転嫁することを指す。そして、例として公害は分かりやすいだろう。工場や鉱山で何かの商品を用意する過程で廃棄物が発生するが、その廃棄物の処分の負担は、公害として周りの住民に転嫁する。 このような転嫁を防ぐために、公害を規制するべきだと言えよう。詳細は個別に決めなければならないが、一見で簡単な問題に見えるだろう。公害を禁じたら充分なのではないかと思われる。しかし、一般的に問題点を挙げることはできる。...

転嫁の基本

転嫁というのは、自分の過ちや責任を他人に押し付けることを言う。社会の中の行動でよく発生する現象である。例えば、公害は著しい例であろう。企業が利益を得るが、その利益を得るために必要だった損害を、別の人に押し付ける。基本的な立場として、このような転嫁を禁じる。自分の行動の負担を全て自分で背負うべきである。もちろん、他人に背負ってもらうこともできるが、それはその人が同意する場合に限る。勝手に利益を独占新柄負担を拡散するのは良くないのだ。しかし、これはものすごく繊細で難しい問題であるから、しばらく論じたいと思う。 まず、なぜ転嫁禁止を理念とするのかについて説明する。...

他人の産霊

産霊から展開する活動は主に自分に関わる。つまり、自分で何かを創造したり、自分で成長したりする。しかし、それで産霊を尽くすわけではない。 まず、協働で行う活動がある。創造の場合、このようなケースは多い。身近な例は映画だろう。映画の最後にその映画の作成に関わった人の名前が数分に亘って上映される。このような作品を一人で作り上げることはできないので、産霊を実現するために一緒に働かなければならない。協働的な成長もある。例えば、お互いに囲碁をし合って技を高めることは少なくない。その場合、双方が成長する。 単身で活動するか、協働で活動するかは、個人の自由に任せる。成長と創造の評価に影響しない。創造の内容や成長の質によって適切な方法が変わるし、人の好みにも影響されるが、その相違によって価値が決まるわけではない。...

成長

成長

成長とは、自分の能力を増すことを意味する。出来ないことを内面的に出来るようになったら、それは成長である。「内面的に」というのは、例えば梯子を買ったら、高いところへ登ることができるようになるが、それは成長ではない。一方、壁をよじ登ることができるようになると、成長である。 成長で得た新しい能力を存在として考えれば、成長を創造の一種として捉えることはできなくはない。しかし、成長について考えれば、自分を鍛えるように考えた方が適切なのではないかと私は思うので、創造と成長とを区別して扱う。 成長を具体的に言えば、新生児から大人への成長はもちろん、勉強の全て、訓練の全ても入る。知識を貯めると、少なくとも当分野についての質問に答えられるようになる。多くの場合、理解力が増すし、適切に行動できる範囲も広がる。訓練で技能を身につけるので、その技能で活動範囲が広がる。...

創造

創造

一般で抽象的に言えば、創造はこの世に新しい存在を出すことである。 広い意味で捉えたいのだ。彫刻を作るのは創造であるのはいうまでもないが、物体にならない詩を詠むことも創造である。歌の作曲だけではなく、歌を演奏することも創造の範疇に入っている。新しいパソコンの設計を定めることは創造であるし、その設計図の通りパソコンを組み立てることも創造である。レシピに従ってケーキを作ることも、創造。家庭を設けることも、パーティーを開くことも、創造。子供を産むことも。考えれば、創造の範囲は非常に広い。...

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