文化を求める人

一番短い間に文化を求める移民は、観光客に当たるだろう。より長く滞在する例は留学生や国に滞在するために働く人である。(働くために滞在する人は違う。)先ず、期限をつけて移住する人を考えたいと思う。

原則として、国が歓迎すべき人であると私は思う。文化は確かに国の資源の一種であると言えるが、ほかの資源と違って、外国の人と分かち合っても、国の持つ量が減らない。寧ろ、新しい立場からこの文化資源を見てもらうことで、資源の量が増すことさえある。その上、国を好意的に思う人が増えれば、国際社会での立場が有利になる。文化的な影響力は全てではないが、軽視してはいけない。その上、意志の尊厳は国民に限るわけはないので、国を訪れたい外国人がいれば、原則として可能とすべきである。それでも、条件を考えても良いのだ。

先ずは、受け入れる国にとって、負担にならないように気をつける。基本は、生活費などが自力で賄えることだろう。自分の資産で過ごせることを証明することを原則としても良いのである。同じように、医療費を賄うための保険に入っていることも確認しても良かろう。国の運営する保険制度には入らせるか、自分で保険を用意するかという選択肢があるが、日本では国の健康保険に加入する義務を課す。

もちろん、このような条件を緩和することもできる。例えば、短時間の仕事を許せば、自国での資産は多くない場合でも、留学はできる。しかし、正社員のような形で働こうとする人は、働くために来る人と見做して、その種類の人の条件を満たさせた方が良いのではないだろうか。その上、国が奨学金を提供しても良いのだ。勉強してもらうことで国の利益は多いと判断すれば、奨学金を出して促進しても良い。例えば、隣国との間で歴史問題から発生した摩擦が長年に亘って問題になっていれば、その隣国の若者に国を訪れて、文化を体験する機会を提供すれば問題の長期的な緩和に貢献する可能性は高い。

意志の尊厳の立場から考えれば、「国の利益」は「国民の活動範囲を広げる」ことと等しくなる。つまり、国民が外国で体験したい場合、それが可能になるように努めるべきである。勿論、外国の制度を直接的かつ強制的に変えられないが、お互いに寛容的な制度を設けることで、国民の自由を広げることはできる。この場合、外国の人の自由も広がるが、それ自体は良いことなので、憂う必要はない。つまり、お互いに留学生に奨学金を提供したり、規制を緩和したりすることで文化を求める人の交流を促すことは良いと思う。

このような人に文化を勉強するを促す必要はそもそもない。それは、もともと学びたいからである。その反面で、勉強したことを証明する条件は、大きな壁にはならない。勉強したいので、勉強しろと言われても嫌がるはずはない。国の言語の実力を条件としたり、文化に触れた証拠を要求する条件を設けたりすることは良かろう。しかし、この条件は、本気でやろうとすればできるレベルで設定した方が良いのである。本気を測るのは目的であるからだ。

一方、文化に対する高い水準に達した人に、更に文化に触れるために滞在する許可を与えても良かろう。この場合、文化の知識や理解の高い水準の証明を求めても差し支えない。目的は文化であることは確認できたら、働きながらその要求を続けさせても良い。これで、無限の滞在を目指す文化を求める人に昇進できる。

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