革命を求める人

或る国を改善するのは、その国の住民であるべき。(余談だが、基本的に「国民」ではなく、「住民」である。国家がある地域を制圧するのに、住民のごく一部の人を国民として認める場合もあるからだ。これも難しい問題なので、ここで詳しく論じない。)だから、外から国を変えようとする人を拒否する権利がある。

それは、植民地などを敷く方法で変えようとする場合、単純な防衛になる。これは極端な例であるが、枠が見えてくるだろう。反帝国主義の風潮は今高まっているが、その基本は外国人が国の将来を左右するべきではない概念である。

しかし、侵略以外の例は難しい。難題になる源は簡単である。国に移住してきた人は、もう住民になっているので、国の改善に参加する権利を得たと言えるからである。

例えば、宣教師を考えよう。宣教師は、自分の宗教をある国に広めようとする。主に、その宗教は少数である国を狙う。宣教師の歴史を見れば、問題を起こしたことは多いし、対象の国の文化や伝統を壊したことも多いのである。だから、卓上の問題に留まらない。では、宣教師を禁じるのだろうか。

それはできない。一旦国に入れば、言論の自由や良心の自由があるので宣教活動を禁じることはできない。(また余談だが、言論の自由と良心の自由の立場から考えれば、選挙活動も同じであるが、それを在住外国人に禁じる国は少なくない。)国内で宣教活動を制限しないこととしたら、制限する方法はあるのだろうか。入国の時点で、宣教活動以外の目的で入国を認めることになる。しかし、その場合でも、入ったら表現の自由があるので、宣教活動を差し止めることはできないだろう。

宣教師は特に顕著な例である。目的は専ら宗教の普及である。他の活動は曖昧である。例えば、洋食を日本で売ろうとする外資系の会社は、この範疇に当て嵌まるのだろう。社員が国民になる場合や国の住民になる場合には、更に難しくなる。

その上、外からの革命的な概念が一概に悪いとは言えない。住民の刺激となって、国の文化の大きな発展のきっかけとなることは少なくない。日本の歴史にはいくつかの例が見えるが、大化改新から明治維新まで繰り返された。

だから、侵略以外の移住を普通に認めたほうが良いと私は思う。しかし、「宣教師」などの目的を入国目的として認めなくても差し支えない。確かに、別な名目を見つけるはずだが、それだけを入国の理由として認めないことは、国家の裁量に入っていると思う。

一方、特に脅威がある場合、特別対策として特定の活動を外国人に禁じることも許されるのではないか。選挙活動を一般的に禁じるのは良くないとしても、ある国が関与しようとすれば、危険の下で制限しても良かろう。この場合でも、国民(つまり、国籍を持っている人)の活動を制限するわけにはいけない。いかに国民が革命を求めても、それは国民の明らかな権利である。その上、在住歴を特定の年数以上の人にも認めたほうが良い。上陸したばかりの移民は、法律上の住民ではあるが、実質的に違う。5年や10年間国に住んできた人は、国籍はまだ外国であっても、本当の意味で住民になっている。国内生まれ育ちの外国籍の住民は尚更である。

ところで、住民の要求に国家が応える義務はない。外国籍の住民がある政策を猛烈に要求しても、無視することはできる。国籍を持っている住民の多くを仲間にしない限り、国家を強制的に動かせることはできない。そして、国民の大多数がある政策を求めたら、国が少なくとも真摯に検討すべきなのではないだろうか。これも、原則として自由に活動させる理由の一つである。

つまり、外圧に対抗することはできる。対抗するために、外国人の移住を拒否したり、活動を制限することもできる。ただ、普通にそうする必要はないので、意志の尊厳を重視して、制限しないほうが良いのである。

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