難民の受け入れ

難民は命を救うために自分の古里も国も捨てて逃げる。大変難しい問題になる。

先ず、難民本人は被害者である。更に被害をさせるのは残酷である。そして、何かを難民の負担とすることも非常に合理性が欠けている。悪いことをしたのは、難民ではない。しかし、罪を犯した人は、責任を負わないのは明らかである。だからこそ難民が難民になった。加害者の責任を声高に訴えても、難民の助けにはならない。

一方、難民を助けることには、費用や努力は山ほど必要となる。財産の殆どを失った人であるので、衣食住を提供しなければならない。医療も必要となる。特に精神的な被害は多いが、肉体的な被害を受けた人も少なくない。ものだけではなく、専門家も多数必要となる。罪を犯していない人には、この負担を背負う義務はあるのか。

それでも、誰も背負わないと、難民は苦しみながら死んでしまう。それも許せない結末である。

この世にはこのように困難な問題がある。

でも、憂うことで終わるわけにはいかない。どうすれば良いのだろうか。

先ず、隣国での大規模な危機が発生したら、難民を受け入れないわけにはいかない。国境で射殺することはできないが、壁を建てて被害者を敵とすることも適切ではない。これが大きな負担となるが、大震災などと同じように対応するしかない。

ただ、事前防止策を採用することはできる。隣国を支援して、安定した政治で頑丈なインフラがあるように努めたら、大きな危機に陥る確率を抑えることができる。これは他国に予算を注ぐと勘違いする人は少なくないが、国防の一種である。隣国と協力してその国民お安定した豊かな生活に貢献すれば、好意的に思われるし、隣国の政治問題から悪影響を受けるはずはない。そして、隣国の全ては安定して友好な関係になっていれば、隣国と組んでその次の隣国を支援する。このような、輪がどんどん広がる。この支援の一部は、ちょっと離れた国での難民問題に支援を出すことも含まれている。現地で解決できれば、直接に問題が自分の国に及ぶ可能性を抑えるし、一時的な避難を目指す人は、遠い国まで行きたくはないだろう。

この事前防止は大変重要だと思う。行政が周りの国の状態を無視したら、大事が発生すると驚いたり隣国を批判したりすることは多いが、そのような態度は極めて無責任である。できることがある間に行動すべきである。

そして、帰国する見通しのない難民はその国に移住する意志があることもあろう。その場合、受け入れ態勢を整えたほうが良い。ただし、住民に強制的に難民を受け入れる負担を強いるわけには行かない。衣食住の提供、医療の提供、職場の提供、言語教育の提供等々、負担は実に重い。

一つの方法は、難民危機に応じて国民投票を行う。その投票に受け入れに賛成する人の所得税に10ポイント未満を上乗せして、その税収で難民対策の費用を賄う。賛成する人からの税金の見込みは政策の費用に足りない場合、実施しない。賛成数は多くて10ポイントの上乗せは不要の場合、税率を下げる。これは大規模な対応が必要になるとき、唯一の方法だろう。(10ポイントの上乗せというのは、20%の税率が30%になるなどの状態を表す。そのぐらい提供したくない人は、政策にそれほど賛成していないと言えよう。)

しかし、その方法にも問題がある。例えば、受け入れる施設の周辺の住民の賛同は必要不可欠だが、得難い場合もあるだろう。

もう一つの方法はカナダで実施されていた。それは、ある街に市民の数人が難民を受け入れる団体を結束することである。団体で衣食住や職業、医療、言語教育などを用意して、そして難民の歓迎も提供する。国に申請して、当時外国にいる承認された難民を受け入れる機会を与える。負担は、負担したい人に限る。そして、難民にとって、抵抗感を抱く人に囲まれた状態に置かれない。寧ろ、支援していく人は多いし、必要なことはもう用意されている。だから、難民にとっても新しい環境に慣れていくことがなるべく平易となる。

国の役割は、入国管理制度を運営して、難民の承認を行うことである。難民の承認を国連に任せても良いし、国連にその国に移住したい難民の指定も任せても良い。

このように国の負担を減らしながら、難民に人道的に対応できるのではないか。

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