性と出産

性と出産が密接すると自然に思われる。もちろん、これは異性関係に限るが、異性関係を望む人は大半であるようだから、普通のイメージになるのは当然だろう。その上、出産は産霊の一種であるし、別途で述べたように性的な行為で結びを強めることは強く促すべき行為であるので、惟神の道で子供をたくさん産むべきなのではないかと思われるだろう。

実は、そう簡単ではない。

まずは、子供を産んだら、原則としてその子を育てる義務を背負う。親子の結びでも触れたが、それは大きな責任であるし、実力も時間も財産も必要である。そして、子育ては産霊を実現する唯一の方法ではない。別な方法を選んだ人は、子育てで力を十分注げなくなると判断することは少なくないだろう。その上、人間の数が地球に負担を掛ける。産霊は人間に限られていないので、他の生き物の産霊にも配慮しなければならない。

別な側面から見れば、子供を産ませない性的な行為もある。その行為は結びを強めるので、促す。同性同士の性的な行為がすぐに思い浮かぶが、生物学的な不具合で子供を作れない人が異性のカップルの一人になったら、その二人の性的な行為は直接に出産と繋がらない。(「不妊」の言葉は女性の問題を強調するような気がするので、ちょっと避けたい。)そして、歳をとった夫婦はもう子供を産めなくなったが、性的な行為はまだ結びに大きく貢献できる。最後に、性的な行為は性器を差し入れることには限らない。手でしたり口でしたりすること等もある。それは出産と繋がらない。

つまり、性的な行為と出産との関係は薄いのだ。計画的に出産することとしたら、もし異性の性的な相手がいれば、その相手との関係を深めながら子供を産もうとするのは大変好ましい行為である。産霊にも結びにも貢献するからである。一方、子供の出産と全く無関係な性的な行為もあるが、そのような行為も積極的に促すべき場合は少なくない。だから、子供を産まないこととしたからと言って、性的な行為を避けるべきであるとは言えない。全く無関係である。子供を産まないこととしたら、性的な行為から妊娠にならないように気をつけるべきである。性的な行為を避けるべきではない。同性同士の性的な行為を探すのは方法の一つだし、手や口等での妊娠と繋がらない方法を使用する方法もあるし、勿論避妊対策を利用することもできる。

他方、子供を産もうとしたが性的な行為から発生しないことは明らかである場合、別な方法をとっても良い。(最初からとっても良いが、自然にできれば自然にしようとするのは普通だろう。)「産もうとする」と言っているが、養子縁組を作るのは一つの方法である。人工授精も考えられる。同性の家庭であれば、特に男性のみの家庭であれば、方法を考えるべきだが、子供の産むことは原則として良いことだから、その方法を肯定的に評価して、積極的に導入するべきである。

要するに、性的な行為の価値と子供の出産の価値は全く別物である。因果関係がある場合もあるが、評価上それは重要ではないのである。子育てなどについても論じたいのだが、それは性的な誘惑と関係はないので、ここで割愛して、別な機会を待つ。

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