日本語能力

職場での搾取を防ぐ政策を設置すれば、外国人労働者に関わる最重要な課題に対応できる。しかし、他の重要な課題もある。それは外国人労働者や移民の社会参加である。

移民は多い国の状況を見れば、ある傾向は明らかである。移民が母国同士で集中して或る地区に住んだり、母国を共にする人と主に交流したり、母国語を常用語として使ったりすることは少なくない。その結果、元の住民との軋轢が発生して、社会問題に展開する。その上、その国の共通語は不自由だから、移民も生活の中の問題を正しく解決できない。この状態は、国にとっても、移民にとっても大変好ましくない。しかし、外国から来た人の立場から考えれば、ごく当たり前な行動である。円滑に話せる人と働いたり住んだりすることは楽だし、母国からの食材などは、同じ国の人は多ければ多いほど入手しやすくなる。そして、日本での労働についての情報などは、当然同国の労働者から渡海する前に得る。何もしないと、自然に問題の状態になる。だから、防ぐための措置を用意すべきである。

移民としての体験から判断すれば、言語力不足は問題の最大の一因となる。日本に住んでいる移民は、日本語を話したり、読み書きしたりすることができるようにならなければならない。そうしないと、永遠まで社会と乖離される。言語の壁を取り除かないと、他の方策の効果はあまり期待できない。

日本語を取得することは、主に外国人労働者や移民の責任である。代わりに責任を背負おうとしても、言語力を贈り物として与えることはできない。だから、制度で、日本語取得を促したり、容易にしたりする。

まず、ビザの条件として日本語能力基準を設けるべきである。(そういうつもりだそうだ。)そのレベルは、最低限のやりとりができる能力で、日常生活で日本語を使用すれば自然に上達するレベルを設定すると良い。労働者には授業を受ける余裕はそれほどないと予測できるので、授業なしに日本語を身につける条件を整えるべきである。そうするために、基盤は必要である。日本語能力試験で測れば、最低でN4の合格だろう。それは私が初めて来日した時点で持った能力であるが、それを下回れば役に立たないと思う。それでも、私が日本語学校に通ったので、もしかしてN3の方が良かろう。

そして、同じ職場で、一つの国籍の労働者が4分の1以下を占める義務を企業に課すべきであると思う。(労働者は少数であれば、緩和するのは勿論のことです。)そうすれば、同僚と母国語で話せないので、共通語が自然に日本語になると思える。だから、仕事が日本語の練習になるし、上達も期待できる。この方針で、一つの国の出身者が密集することもある程度防げるだろう。

行政側は、何らかの方針で日本語教育の提供を確保するべきでもあると私は思う。勉強する余裕を感じない労働者もいるが、勉強したい人もいるに違いない。その人に機会があるように工夫しなければならない。都会で働く人なら、情報提供で十分だろうが、田舎の場合供給はない可能性もある。その場合、行政が能動的に動く必要があろう。

5年間で帰国する短期労働者の場合、これで十分なのではないかと私は思う。最低限の日本語力を入国の時点で確保したので、それほど上達しなくても、日本にいる間に大きく困らないだろう。しかし、更新できる資格を持つ人をもう少し厳しく制限すべきであろう。(これは、新しく導入される労働者資格に限らない。既存の在留資格も対象になる。)それは、5年目で更新する時点で、より高い日本語能力を求めることである。N2を最低限とする。専門家の判断も私の体験も、それは独立に生活できるの最低限であると主張する。問題はまだ多いが、助けを求めたり、助言を理解したりすることはできる。再更新で、N1を求めても良い。入国時点でもうN3だった人は、働きながら10年間でN1まで登ることはできると思われる。専念すれば、1年間でできるし。永住許可の条件はもちろんN1相当とする。

例外として認めるのは、日本人の配偶者の資格だろう。家族を分断するわけにはいかないし、日本人と結婚したら、移民同士の孤立された共同体の一部ではないので、問題は別な方法で解決された。しかし、この場合でも日本語能力は足りなかったら、1年毎に更新を求めても良かろう。その人のために日本語の取得を促すべきである。(子供も例外とすべきだが、子供が日本で育ったら、日本語能力をある程度取得することは予想できる。)

日本語能力の獲得を保障すれば、社会参加が可能になる。しかし、それで足りない。受け入れる国、すなわち日本にもやるべきことがあると私は思う。

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