占いの評価

占いの結果をどう評価するか。将来について占えば、実際にそうなるかどうかを調べることができる。科学の理論を試すと同じ概念である。しかし、ここで提案した占いは違う。神の意思の表現に止まるので、占いの結果と神の意思を比較することは基本である。ただ、神の意思を探る方法は、占いしかない。だから、占いの間違いをどうやって見つけられるのだろうか。

この問題は、実は科学でも発生するので、対応策は知られている。まず、結果の中の模様を探るのは解決策である。

人間の例を考えよう。ある人は、串を意図的に選んで晩御飯を注文するとしよう。その選択肢は寿司、トンカツ、ラーメン、カレーライス、そしてお好み焼きである。もちろん、毎回同じ結果になるとは限らない。気分によって変わるし、毎日同じものを食べたい人はほとんどいない。そのために、すぐに無作為な選択と区別できない。

しかし、数ヶ月続けて、結局100回したとしよう。分析すれば、カレーライスは一回も選択されていないことに気づく。それは偶然ではない。無作為だったら、50億分の1の確率である。やはり、この人は、カレーライスが嫌いなのだろう。同じように、祭祀の占いでの模様を見つけたら、神の好みが反映されていることを仮説できる。

それほど単純な模様とは限らないので、より複雑な模様を探さなければならない。トンカツを多めに選択するが、カレーライスは少ないという可能性もある。このような模様を分析するために、統計学の形式が存在する。

これで、問題が発生する。無作為な数値でも、無限ではない限り模様がある。いつもそうである。探せば、見つけられる。しかし、無作為であれば、その模様が将来に続く筈はない。だから、模様を見出せば、そのままさらに数ヶ月続けてから、同じ模様があるかどうかを調べる。なくなったら、実はその模様はないことを結論づける。

この点で、科学の研究と異ならない。ただし、大きな相違点がある。同じ占いを別な神社で行ったら、別な模様が出てくると予想できることである。なぜなら、神は違うからである。違う神の好みも違うのは当然である。普遍的な結果は期待できない。

模様が見れば、祭祀の内容を神の好みに沿うようにできると思える。だから、神社ごとに祭祀の内容が違っていくと思える。そうしないと、神の意思を伺っていないとも思えるだろう。これは、神を畏敬しようとすれば、事前に受け入れるべき結末である。神事の統一は、神の立場から考えれば、不自然である可能性も認めなければならない。

最初の選択肢の配置を巧みに選べば、占いで神の意思に近づけない場合、ただ現在の祭祀が継続することになる。一方、結果が出れば、興味深い進化を期待することになる。その結果についてもちょっと考えなければならない。

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