占いを踏まえて

では、仮に占いから模様を読み取ったとすれば、それからどうすれば良いのだろう。

これで、神の意思を把握する方法ができたので、この占い方法を使って、まず神を敬う方法を特定する。直接に話しかけて、答えをもらうことはできないだろう。寧ろ、選択肢を提供して、指摘の通り祭祀を執り行う。

その過程の中で、祭祀の要素を広めようとするのは良い。神が好むことが実は現在の祭祀と異なる可能性があるので、より広い祭祀の形式を検討すべきである。しかし、急に全く違うことに飛躍すれば、上手く執り行うことはできないだろう。神職として、必要な技能を持っていないからである。(例えば、神楽を雅楽から交響曲に変更しようとしても、神社で交響曲を演奏できる人はいないだろう。)だから、奉仕者の興味や才能に基づいて、新しく導入できる要素を考えて、占いで提供することは適切であろう。このようなことを続けば、いよいよ全く新しい形式に辿り着く可能性がある。又は、既存の祭祀形式は本当に神の好みに応えることを確認する可能性もある。それで、別な神社の祭祀を自分の神社で提供することを試して、神の反応を調べることもできる。これで、祭祀の形式が神に畏敬を表すことになろう。

この目的を優先すべきだと私は思う。神は仮説上意識のある存在であるので、最初に神の意思に従って奉仕するように努めるべきである。しかし、それから神の本質などを研究することは適切である。神の意思を読む方法があるので、神の同意を得ることもできる。それは重要である。同意を得られなければ、強制的に調べるべきではない。占いで提案したり質問したりすれば、神が世界をどう見るかがわかるだろう。疫病に対応できるかどうか、幸運を齎せるかどうかも調べることはできる。神の同意を得れば、神に何ができるかを調べるのは問題ない。勝手にするのは不敬であろうが、同意を得てからの実験は違う。

この研究で、意識の問題についての新しい見方を入手できる可能性もある。そして、神が存在する世界から様々な興味深い発見があるのだろう。天文学での発見を考えれば、今の時点でそのようなことを予想できないのは明らかである。占いからの結果に基づいて探れば、証拠に導かれる。仮説はもちろん必要であるが、証拠が仮説に強い影響を与える。説明できない証拠があれば、それを説明する仮説を当然組み立てるが、証拠はない状態でわざと特定の仮説を立てることはないだろう。

神祭祀の立場から始まると、結果があれば最初は祭祀の洗練に努めるべきである。その過程で神についての知識や仮説が発生するだろう。それを踏まえて、更に事実を調べることは適切なやり方だと私は思う。

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