入居差別の解消

日本で、外国人にとって賃貸住宅に入るのは難しい。川崎市外国人市民代表者会議に務めたとき、この問題がよく浮上したし、外国人市民の実態調査でも浮き彫りとなった。最近、YouTubeでのドキュメンタリーのために取材されたが、解決策についてまた考えてきた。

私は、原則として法律で差別問題を解消することはできないと思う。なぜなら、人間の心の問題であるからだ。法律で「すべての人間を同じように考えろ!」と怒鳴っても、効果はあまり期待できない。その上、差別を禁止する法律を取り締まりするために、国民の生活を厳密に調べなければならないが、それで国家の関与が強すぎる。多くの場合、国家の関与が差別より深刻な問題になリかねない。

しかし、入居問題の質は特別であるので、法律で国籍、出身地、または人種に基づいて入居を拒んだり特別な条件を設けたりすることを禁じると効果は期待できるのではないかと思ってきた。

カナダやアメリカの法律を見れば、職種や言語能力なども基準としてはいけないと言われるし、ある人種に特に問題になる条件は、人種が明記されなくても法律に抵触すると解釈されるようだ。日本に導入してほしい法律は違う。単純に国籍、出身地、または人種を条件とすることを禁じる。例えば、日本語能力とか在留資格の期間などを条件としても構わないことである。「外国人はダメ」ということが違法になるが、「日本語ができない人はダメ」ということは合法のままになる。

なぜかというと、日本人の大家さんの多くは、外国人を外国人として嫌うわけではないからだ。私は、この問題を調べているうちにそう感じるようになった。ただ、日本語はできないのでコミュニケーションはできない入居者は嫌だの、ルールを守らない人は嫌だのとの問題で、それを総括して「外国人は嫌だ」というのではないかとの印象だ。

それは問題である。すべての外国人はそうではないからだ。日本語ができない外国人は多いが、日本に住んでいる外国人の過半数はできるに違いない。(観光客はもちろんできない人は圧倒的であるが、フランスへ行く日本人の観光客も同じだろう。)その上、ルールを日本人よりきちんと守る外国人も多い。だから。外国人であることできっぱり拒否すれば、不公平になる、その当事者の外国人市民が困る。

しかし、「外国人お断り」を表に出すことが禁じられたら、大家さんは本当の問題を考えて、それを明記するに違いない。例えば、「日本語ができない人お断り」であれば、日本語ができる外国人も大丈夫になる。そして、大家さんが問題視するのは、本当に日本語のできない人であるので、日本語ができる人は外国人であっても問題にならない。「ルールを守らない人を断り」と言いたい場合でも、事前に分かりづらいので、入居時点の基準をちゃんと考えなければならない。

そして、この法律は大家さんの心の中を調べない。ただ、表に出している条件だけを調べる。それは簡単にできるし、国家の関与が強くならない。言語能力等を人種差別を隠すためによく利用される社会だったら、これは問題解決と繋がらないが、日本はそのような社会ではないと確信している。

要するに、「外国人だから嫌」というのは、本音ではないと思う。ただ、本音を簡単に表現するための手法に過ぎない。本音は「日本語が必要だ」とか「ルールを守らなきゃ」とか「一年間以上住み続けてほしい」などになる。法律で本音を明白にさせたら、その条件を満たす外国人がスムーズに入居できる。

そして、問題が残ったら、問題の本質が明らかになるので、効果的に取り組むことはできる。

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