神宮の地位

神社本庁が伊勢の神宮を「本宗」として奉斎するという。この「本宗」の意味は曖昧で、結局、神宮の特別な敬称であり、特定な意味はないと言えるかもしれない。ただ、神宮を尊重することは神道界で当然だが、他の神社を尊重することも当然だ。神宮の特別な地位は一体何だろう。

はっきりされたのは、天照大神が全ての神社で崇敬されている意味ではないことだ。そして、他の神様は天照大神の一部ではないし、天照大神への道標のような存在ではない。独立する神である。同じように、神宮が他の神社の祭祀の形を決めるわけではない。神宮の祭祀を模範とする場合はあるが、それは神社の自由である。神宮の権利等ではない。

明治維新から終戦までの間、神宮の特別な地位は明らかだった。国体で天皇と特別な関係を持って、国民に神宮を崇敬する(準)義務が課された。そして、憲法で天皇が国の主権を握っていた。戦後、それは一変だった。天皇は象徴天皇になっているし、憲法上の神宮との関係はもうない。

現在の神宮の地位が完全に明治時代の神社方針に基づけば、基盤を疑う人は少なくないだろう。明治維新から終戦までは77年間だった。終戦から今までは74年間。「歴史」や「伝統」と言えば、戦後の伝統を長さの単純基準に基づいても優先できる時がもうすぐくる。そして、明治以前の江戸時代の御師の時代が数百年続いたので、それを優先すべきなのではないか。

その上、明治政府の方針の中で高く評価できる方針はあったが、強く批判すべき方針もあった。神宮の地位はどちらに配布されるかは、根拠を考えずに判断できない。

それでは、神宮の地位の根拠になれる要素は何だろう。

まずは、天皇との関係が思い浮かぶ。天照大神を太陽神として描かない神社本庁で、これはやはり理由であると示唆する言動は多い。この場合、天皇の地位も考えなければならない。

そして、主祭神である天照大神の本質に基づく可能性がある。最高の神様であるとよく言われるので、それで神宮が特別になるかと思われるだろう。

また、日本の伝統との繋がりや神宮の伝統の長さが根拠になり得る。先週建立された神社が1500年以上の歴史を持つ神社ほど尊くないのは自然であるが、その根拠を明かすのは安易ではないかもしれない。

もう一つの候補は、神社本庁の自由な選択である。神社本庁が神宮に特別な地位を与えたので、神社本庁にとって特別な地位を持つ。これは確かに否めないし、神社本庁の自由でもあるが、他の人に対して説得力は余りにも乏しい。

個人的に、神宮が祭祀の中にどのような位置を占めるべきかを考えたいのだ。参宮したことがあるが、神秘的な雰囲気もあるし、神聖な空間であることも感じられる。ただし、そう感じる神社は神宮には限らない。神宮には特別な地位があれば、やはり根拠があるはずだ。その根拠を探りたい。

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