ご祈祷には効果があるのだろう。
それは神の存否を調べるための糸口の一つになる。確かに、決定的ではない。祈祷に効果はなければ、神が存在しないことが理由になり得るが、祈祷の方法は間違っている可能性もある。ある薬がある病気を治さないと、薬は一般的にダメであると結論しないと同じである。しかし、祈祷の形式を調整しても効果が出ない場合、神の存在は疑わしくなる。一方、祈祷に効果があっても、神が存在するとは限らない。その効果が発生する理由は神ではない可能性もあるからである。つまり、絶対的な関係はないが、祭祀の形についての占いと同時並行で行えば、証拠の一部を提供すると思われる。
では、どのように調べたら良かろうか。
まずは、ご祈祷を依頼する人に願うことができる。祈祷の効果を特に感じたら、神社に報告するように願えば、時々報告が届くだろう。そして、効果の感謝の祝詞を奏上できるし、統計を集めることもできる。効果を報告する人は、主に効果をはっきり感じる人で、神や神社とつながりを感じる人であると思われるので、割合が高いか低いかをまず見る。そして、祈祷の案件や斎主によって違いがあるかも調べられる。
しかし、人の期待が感覚を大きく左右する。だから新薬を検証する場合、原則として薬を服用しているかどうかは、医者にも患者にも知らせない。祈祷を受けているかどうかは明白であるので、全く同じような形にできないが、期待の影響に配慮しなければならない。
それで、期待がほぼ同じであるような人を比べれば良かろう。祈祷の内容が期待度に大きな影響を与えないと思われるだろう。病気平癒は試験合格より大事であると客観的に思われるだろうが、当事者にとって気持ちは同じである場合は多いのではないか。だから、期待の働きがそれほど変わらないと思っても良かろう。そうならば、期待の働きに留まると、祈祷の内容に関わらず同じ成果が現れるはずである。一方、祈祷自体に効果があれば、それは内容と関係なく発生するはずはない。実世界の中の能力は、分野によって効果が違うのは当たり前だ。神道の伝統も同じである。学業成就等の祈祷は、天神様が良いと言われる。商業繁盛の場合はお稲荷さん。
だから、まず違いがあるかどうかを調べる。違いがあったら、その詳細に基づいて次の段階を考える。違いはないと、別な方向で調べる。もちろん、神が存在しない証拠を得たことになるが、決定的ではないので更に調べるのは適切である。一人個人として、一生諦めなくても良いのだ。結局、他の人がその努力を見て、神が存在しないことを結論するだろうが、それも価値ある成果である。
正直に真心を持て調べれば、好ましくない結果が出る可能性に覚悟しなければならない。