平等性

集団社会の大きな利点は平等性である。名誉がある集団に属する人に名誉があるし、成功する集団に入った人にお金がある。そして、その名誉や収入が個人の能力に基づかない。そのため、自然に能力は高くない人も、社会に尊敬を得る地位に就くことができる。その上、本当に社会に役に立つ仕事をしていることも感じられる。集団の一員として動いているので、その集団の社会貢献に貢献している。

個人主義と能力主義の社会で大きな問題の一つは能力を持たない人が捨てられることだ。障害になる問題ではなく、平均をちょっと下回る人もそうだ。それは、総人口の半数近いので、社会問題として扱うべきだ。

個人主義の下で、この問題は解決できないのではないか。個人のことしか測らないので、平均を下回る人には名誉等が回ることはあまりないと思える。もちろん、社会の多様性を育んだら、全ての分野で平均を下回る人が少なくなるだろう。頭が悪かったら、体が丈夫でまたは美貌であることで尊敬を得られるかもしれない。それでも、どの分野でも優れない人も人数として多いので、優れない人に尊敬を得る道を与えなければならない。

属する集団の名誉を自分のものとして感じることは人間の心理だ。母校を誇らしげに思うことも国家主義も同じ心理から発生すると言っても過言ではない。そして、出世も勤務年数に基づけば、能力が少ない人が名誉を持つ集団の長になることもある。個人的な名誉も感じられる。

この利点は一番重要なのではないかと思う。これで、団体主義を許すだけではなく、促進する十分な理由が成り立つ。ただし、この利点は低能力者にとっての利点だ。高能力者にとって、搾取のようなことになるのではないかと思われるだろう。それで、集団社会の他の利点が重要な役割を担う。安定感や休暇の機会を得るために、才能が優れる人も集団に入るのではないかと思えても良いだろう。

この利点を実現するために、条件は必要だ。その一番の条件は、入団の条件を禁じることだ。求人数より多くの人が申し込めば、公平な抽選で入団者を選ぶべきだ。そうしないと、入団審査を通るための性質を持たない人に尊敬への道が塞がれる。そして、入団してから訓練や養成を供給して、集団に貢献できる人を育てる。

唯一の許される条件はもしかして年齢だろう。それでも、単純に許すわけではない。集団の年齢構成で将来に危機が予想されれば、例えば職員の3分の1が5年間以内退職する見込みになったら、その期間に退職する人を候補から除外する許可を与えるべきだろう。そして、一般的に義務教育を終えた年齢に達していない人の申請を受け入れないことも原則とする。しかし、普通に高齢者を除外することは許されない。70歳代で入団すれば、それほど出世しないだろうが、老衰の影響はただ低能力の一種だから、集団で対応できるはずだ。

前述の通り、実現するため、入団の判断は平等で無作為な抽選で行うべきだ。入団を希望する人が名前と連絡先を提出して、結果を待つ。当選者の身分証明書等で確認して、重複申請を防ぐ。(重複申請に罰を与えるべきだ。集団の手間を増やす方法だから、不正に利用して集団の活動の妨げを図る人もいるからだ。)人数が限られる位への出世も、抽選で決めるべきだ。その一段下の位に就いている人を対象に、平等で無作為な抽選を行うと、平等を保てる。

このような構造で、社会の複数の不平等に対応できる。抽選だから、男女差別や人種差別に対しても効果的であると思われる。しかし、能力差別への対応策として一番期待したい。

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