神道で、「浄明正直」という4文字が重視される。実は、神職の資格の名称はこの文字から取られている。確かにいいことばかりだが、具体的な解釈はそれほど簡単ではないだろう。ここで、私の解釈についてちょっと論じたいと思う。まず、一文字ずつの解釈とする。
「直」は、真っ直ぐにすることを表すし、素直にすることも意味する。自分にも周りの人にも、自分の活動の目的とやり方を偽らないことを意味すると私は思う。自分に対して、自分の動機等を把握する重要性を示している。例えば、ボランティア活動で、本当に周りの人に褒めてもらいたいからやっていれば、自分に偽って「人を助けるためだ」と言わない。活動は人のためになるので、動機は褒めてもらうことであっても、根本的な問題ではない。そして、褒めてもらうために、役に立つべきである。但し、周りの人が活動を見て認めることも必要であるので、ちょっと目立つ活動をするべきである。この動機はちょっとよくないと思われるかもしれないが、「直」はそのような判断を裏付ける理念ではない。他の理念に基づいて批判できるかもしれないけれども。(例えば、産霊の立場から考えれば、褒めてもらうことは重要ではない。結びの立場から言うと、褒めてもらうは確かに絆の一種だが、表面的であるので、目指すべきではないだろう。)「直」で、ただ自分の動機や目的を正しく把握し、そのために適切動くことを良しとする。
他の人との関係にも「直」は重要である。一人の場合と同じように、「直」は他人に動機や目的を偽らないことを指す。共同活動に参加する人は目的を共有する必要はないが、それぞれの目的を互いに把握して、受け入れることは重要である。参加を呼びかける場合、自分の目的を隠さずに誘致するし、相手の目的を確認して適切に参加させる。例えば、自分の目的は作品を生み出す場合、相手は金儲けを目的としても良いが、その目的に達成しないと思ったら、教えるべきである。
ここで「素直」の側面が浮上する。同じプロジェクトで目的等は千差万別であっても、その目的を素直に受け入れて、認め合うこともこの理念の一部である。祭りの目的は神様を崇むとする人が郷土伝統を保つために働く人と協力することはできる。皇室の弥栄を目指す人は、ただただ楽しむために参加する人とも協力できるのではないか。素直に目的を明かせば、全員の目的になるべく達成するように工夫できる。しかし、自分の目的を隠しながら最優先すれば、それは普通に相手の搾取になってしまう。
確かにいつもこのように動機等を表明できるとは限らない。隠さなければならいないこともある。それは動機には問題がある場合ではない。良質な目的に達成するために密かに進めなければならない場合もある。その場合、他の理念と比べて、均衡をとるべきである。しかし、表明できない場合、行動に重要な瑕疵があることは認めざるを得ない。
冬季課題
三角形は人によって形は千差万別である。
それは二等辺三角形であったり正三角形であったりと・・・だがある甲と乙が想像する三角形は合致していた。その三角形の合同条件を書き、万人が思い浮かびそれらに共通する特徴、普遍的概念をギリシャの哲学者プラトンはなんと呼んだが書け。
答
条件① 三辺の長さがそれぞれ等しい
条件② 二つの辺とその間の角がそれぞれ等しい
条件③ 一辺とその両端の角がそれぞれ等しい
イデア