チャート 出意人

転嫁の基本

転嫁というのは、自分の過ちや責任を他人に押し付けることを言う。社会の中の行動でよく発生する現象である。例えば、公害は著しい例であろう。企業が利益を得るが、その利益を得るために必要だった損害を、別の人に押し付ける。基本的な立場として、このような転嫁を禁じる。自分の行動の負担を全て自分で背負うべきである。もちろん、他人に背負ってもらうこともできるが、それはその人が同意する場合に限る。勝手に利益を独占新柄負担を拡散するのは良くないのだ。しかし、これはものすごく繊細で難しい問題であるから、しばらく論じたいと思う。 まず、なぜ転嫁禁止を理念とするのかについて説明する。...

他人の産霊

産霊から展開する活動は主に自分に関わる。つまり、自分で何かを創造したり、自分で成長したりする。しかし、それで産霊を尽くすわけではない。 まず、協働で行う活動がある。創造の場合、このようなケースは多い。身近な例は映画だろう。映画の最後にその映画の作成に関わった人の名前が数分に亘って上映される。このような作品を一人で作り上げることはできないので、産霊を実現するために一緒に働かなければならない。協働的な成長もある。例えば、お互いに囲碁をし合って技を高めることは少なくない。その場合、双方が成長する。 単身で活動するか、協働で活動するかは、個人の自由に任せる。成長と創造の評価に影響しない。創造の内容や成長の質によって適切な方法が変わるし、人の好みにも影響されるが、その相違によって価値が決まるわけではない。...

成長

成長

成長とは、自分の能力を増すことを意味する。出来ないことを内面的に出来るようになったら、それは成長である。「内面的に」というのは、例えば梯子を買ったら、高いところへ登ることができるようになるが、それは成長ではない。一方、壁をよじ登ることができるようになると、成長である。 成長で得た新しい能力を存在として考えれば、成長を創造の一種として捉えることはできなくはない。しかし、成長について考えれば、自分を鍛えるように考えた方が適切なのではないかと私は思うので、創造と成長とを区別して扱う。 成長を具体的に言えば、新生児から大人への成長はもちろん、勉強の全て、訓練の全ても入る。知識を貯めると、少なくとも当分野についての質問に答えられるようになる。多くの場合、理解力が増すし、適切に行動できる範囲も広がる。訓練で技能を身につけるので、その技能で活動範囲が広がる。...

創造

創造

一般で抽象的に言えば、創造はこの世に新しい存在を出すことである。 広い意味で捉えたいのだ。彫刻を作るのは創造であるのはいうまでもないが、物体にならない詩を詠むことも創造である。歌の作曲だけではなく、歌を演奏することも創造の範疇に入っている。新しいパソコンの設計を定めることは創造であるし、その設計図の通りパソコンを組み立てることも創造である。レシピに従ってケーキを作ることも、創造。家庭を設けることも、パーティーを開くことも、創造。子供を産むことも。考えれば、創造の範囲は非常に広い。...

産霊の概念

私の惟神の道の中心を成すのは産霊{むすび}である。産霊(ムスヒとも読まれる)とは、漢字から分かるように、産む霊である。つまり、創造と成長の力を指す。中心とする理由は二つある。一つは哲学的で、もう一つは神道学的である。...

家庭の定義

家庭祭祀を斎行するのは家庭である。では、家庭というのは、何だろう。 家庭は、同居して生計と生活を一つとする人の集団であると定義したいのである。 現代の家庭の典型的なイメージは核家族だろう。それは間違いなく家庭の一例であるし、重要な一例でもある。しかし、それだけではない。まず、三世代世帯も家庭になる。このパターンが保守派によって理想として掲げられているが、四人兄弟の家族が多い時代に、親と同居できるのは一人にすぎないので、戦前でも少数派だったと思わざるを得ない。 しかし、家庭を考えれば、血縁や婚姻を必要条件としたくない。...

神棚祭祀の神饌

神棚の神饌をどうすれば良いのか。 神社本庁の資料によると、お米、お酒、お水、そしてお塩が良いそうだ。ただし、これは何を意味するのかは、はっきりされていない。その上、伝統としても、明治以降の祭祀規定にしか根拠しない。家庭祭祀の効果を強めるために神饌にも意味を込めるべきなのでは無いだろうか。 毎日同じものを奉らなくても良い。そして、特別に神饌を用意する手間を省くと良い。準備の時間を含んだ家庭祭祀が長引くと、意味がなくなるので、気をつけなければならない。絆や目的や理想のための実践的な活動に邪魔してはいけない。 まず、大切な人から頂いたものを神饌として供えると良いと思う。これで、くださった人との絆の重要性を認めるし、神饌の伝統も継承する。この場合、祝詞の中に神饌の描写を盛り込むと良い。それで、感謝などを明言できるし、意識をさらにはっきりさせられる。...

神棚祭祀の形式

神道的な家庭祭祀の中で、神棚祭祀は特に重要であると言えよう。ここで、読者には神棚祭祀の基本的な形式が分かることを前提に、その詳細を考えたいと思う。 目的と絆を思い出すために、適切な神を奉斎する。例えば、近所の共同体のために、氏神様の神符を奉斎する。学問を目的とすれば、天神のお札が良い。そして、特定の祝詞で斎行する。その祝詞の特徴の一つは、神の名前の前に、司る分野を描写することである。例えば、「学問を司る天神様」と言う。(それは祝詞っぽくないが、文言を後ほど考えるつもりだ。)その内容を口にすれば、髪が司る分野を思い出す。そして、人間なら、なぜこの分野を司る神様を奉斎しているかも、思い出す。絆と目的が目の前になる。...

祭祀としての働き

では、このような理想と結びを重視すれば、家庭祭祀は祭祀らしい役割を担えるのだろう。祭祀と言えば、一般的に意識と結びは重要であるので、そのために働けなければ、祭祀を行う意義が疑わしくなる。 まず、家庭祭祀で直接に感じられる結びは、家庭の間の絆である。家庭の絆を結ぶために、一緒に何かをするのは重要であるし、それは自分の家庭のことであるのも重要であろう。この観点から見れば、家庭が揃って祭祀に参加すれば、家庭の絆に直接に貢献すると言える。特に、家庭祭祀にはちょっと独特な側面があれば、自分の家庭のことをより実感できる。「うちで、こうする」という気持ちで、家庭の実感が強くなるのではないか。...

家庭祭祀の役割

家庭祭祀は何のために執り行うのだろう。 基本的に、家庭のためであると言えるのではないか。つまり、社会の単位となる家庭という共同体のための祭祀であるのではないか。家庭の間の絆を強めたり、家庭の安全と繁栄を祈ったりする。繁栄というのは、ただ経済的に富裕になることとは限らない。家庭の人たちのそれぞれの資質向上も含まれている。自分をよりよくするための努力も、家庭祭祀の対象となる。家庭が一緒に向上することもそうである。お互いに支え合って、一緒に素晴らしいことを作り上げることを祈るのは相応しいのではないだろうか。...

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