惟神の道で、どうやって誘惑と向き合うのか。誘惑の種類別で考えるべきだろう。
有害な誘惑は、産霊や結びを損なう行動であると位置付けよう。損なうというのは、積極的に損害を与えることを言う。消極的に損害を与える行動はこの範疇から除外する。つまり、単純に産霊の発展の妨げになる行動は有害とは言わない。そのために、有害と本格的に言える行動を完全に避けるべきである。産霊や結びを目指していれば、意図的に損なうわけにはいかない。
しかし、誘惑を正面衝突で打ち破ろうとしても、負けることは多いのだ。それはなかったら、誘惑に至らない。意欲は意志を抑えるほど強くない限り、本当に誘惑とは言えないからである。だから、誘惑と戦うために、工夫しなければならない。誘惑を湧き起こす要素を生活から排除するのは直接な工夫である。例えば、誘惑はお酒であれば、お酒を買わないこととする。家にはないと、すぐに飲むことはできないからである。誘惑を思い出させる状態も避けるように生活するのは良い。間接的な方法として、目指すことと積極的に取り組んで、時間を費やす方法もある。
それでも、失敗する時もあると予想できる。そのような失敗を穢れと見做して、対応するが、穢れについて別な機会で論じたいと思う。
そして、中立な誘惑がある。このような誘惑は消極的に産霊と結びに損害を与える。なぜかと言うと、どちらにも貢献しないが、時間も力も費やすからである。
一方、24時間体制で産霊と結びを築くことはできない。少なくとも睡眠は必要だが、休養も人間に必要である。だから、いずれにせよ産霊や結びの貢献にできない時間を、誘惑となる中立な行動に利用しても差し支えないのではないか。
そうすれば、もう一つの戦略が可能となる。それは、誘惑の行動に費やす時間を事前に決めて、それまで楽しみにする行動である。誘惑をちょっと先送ることは、完全に諦めることより比べられないほど容易にである。とは言え、必ずしも簡単にできるとは限らないが、状況に気を配れば、ほとんど失敗しないようにできると思う。
最後に、有益な誘惑を考えよう。この誘惑の一部を抱擁するのは良いのである。有益な誘惑は、産霊や結びに積極的に貢献する行動なので、遂行するのは適切である。そして、自分のとって誘惑になるほど意欲がある行動を行えば、産霊が湧いてくるに違いない。真剣で真摯にやることはちっとも難しくない。他の誘惑の対策としても有利である。自分の誘惑になりそうな行動に没頭すれば、他の誘惑は自然に負けられてしまう。この対策は完璧ではないので、他の工夫も重要であるが、大きな第一歩になる。自分の誘惑にならない行動を人生の中心に据えたら、産霊を沸かすことが難しくなるし、他の誘惑によく襲われてしまう。
では、選ばなかった有益の誘惑があれば、どうすれば良いのか。原則として、自分にとって中立な誘惑と看做したら良いのではないか。問題は、目指す産霊や結びに直接的に貢献しないことにとどまるので、休養に利用しても差し支えない。というより、休養として利用できれば、素晴らしいことである。惟神の道として、産霊や結びを強めるのは一番なので、いつもそれに仕える生活は最高であると言えよう。