性と美術

性と美術の家系は深い。芸能の場合は特にそうであるが、絵画も彫刻も小説も関係する。惟神の道で性を肯定的に見るし、美術や芸術のような創造を産霊の一部として高く評価するので、性の美術を評価するのは当然だ。それでも、色欲の強さがここにも問題を齎す。作成する側からも鑑賞する側からも考えなければならない。

性の要素は強い作品を作成すること自体は性的な行為である。産霊の表現であるため、良質な性的な行為でもあるので、原則としてやっても良いのだし、自分の色欲に沿わない場合、一人で作成すれば問題はない。例えば、異性愛の男性がBLの漫画を描けば、問題は見込めない。作品だけのために動くからである。ただし、自分の色欲と合わない性的な作品を作り出すのは困難だと言われる。なんか情熱が欠けると言われることは多い。

一人で自分の色欲に合う性的な作品を作ろうとする場合、何に考慮すべきなのだろう。まずは、作品を作成することは容易ではないことを念頭におかなければならない。ただ自分の色欲を満足させるために動けば、作品に欠陥があることはほぼ確実である。本当に作品を作り出すために、自分の色欲と戦わなければなならない。集中力は必要であるが、色欲のせいで集中できない場合は少なくない。そして、性的な要素以外な要素も重要である。例えば、美女の裸体を描く場合、作品を作り上げるために、裸体だけではなく、背景もきちんと作らなければならない。目の前の裸体が集中の邪魔になるだろう。(背景を先に描く戦略もあろう。)

つまり、完成することが難しくなる。一方、性的に自分が満足できる作品を完成させるのは比較的に簡単である。自分の色欲とピッタリ合う作品を作って、不要な部分を省略することである。しかし、そのような作品は良質な作品にはならない。これは、不十分な作品に満足を感じるように誘惑するのではないか。

そして、複数の人が協力して作品を作り出す場合、その人の立場も考えなければならない。監督のような役割を担う人は、自分の色欲に誘惑され、ほかの人に嫌なことをさせることもあるだろう。産霊にも結びにも貢献しない、さらに損害を与える行為をさせる恐れがある。自分の色欲に導かれ、さらに原則として良質な行為であるから油断することはあり得る。

AVやエッチな写真は特に危険だろう。まず、美女を裸にさせて写真を撮れば、もう色欲に十分応える作品がある。しかし、美術の作品に値するのは言い難い。そして、写真家や監督は自分の色欲と合う作品を目指せば、モデルや女優になる女性にその色欲から発生する指示を出すことも予想できる。だから、裸にならない色欲を刺激する写真の方が美術的になる可能性があるだろう。服を着たままであれば、工夫しなければならない。(水着や下着の場合、工夫の難易度が落ちるので、グラビアも美術性を欠けることは少なくない。)

では、対策は何だろう。まず、複数の人が一緒に作る場合、事前に皆で計画を話し合って、皆からの意見を聞いて、最終的な計画に取り入れる。計画に同意できない人は参加しなくても良いこととする。契約などを問題としてはいけない。(これも、あまりやりたくないが、計画のために許す程度でも良いのである。)一人の場合でも、全面的な計画を最初から考えて、直接に色欲と関わらない側面を重視すべきである。ところで、大きな作品にエッチな場面を入れる場合、これは自然にできるので、その場合の質が高くなると予想できる。実際にそうであると私は思う。

鑑賞する側は、自己管理に気をつけなければならない。鑑賞することは直接に産霊や結びに貢献しないので、ただの娯楽になる。それ自体は問題ないが、色欲の誘惑で過剰な時間やお金を使ってしまう恐れがある。事前に時間帯を決めたり、予算を設定したりすることは大事である。そうすれば、問題は特にない。娯楽として楽しいし、長期的な悪影響はない。

性的な美術を商売とすれば、誘惑と商売の関係で問題が発生しやすいが、それは性的な商売に限らないので、別途で扱う。

性的な美術の基本問題は、作成は非常に難しいことであると言えよう。色欲が作成の過程に何回も邪魔するからである。それに加えて、努力してその問題を乗り越えるとしても、現在の社会で成果を評価してもらえない。AVなどのレッテルが貼られる。だから、良質な作品は残念ながらあまり期待できない。その事実が変わると良いと私は思う。

1 コメント

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  • >仏教を強く信仰していた檀林皇后は生前に自分が死んだら風葬を行い、死体が朽ち果てていく様子を絵画にするように遺言を行ったという伝説があります。

    そうして、できたのが檀林皇后の九相図です。

    絵は江戸時代初期のもので、皇后は65歳で亡くなったということで、美しい状態ではありえず、実際の様子を直接見て描いたものではありませんが、腐敗しバラバラになる遺体の様子がリアルに描かれており壮絶なものがあります。

    このような絵は若い修行僧が煩悩を抱かないようにするために美しい女性でも死ねば醜く朽ち果てる儚いもので、女性への性欲を断ち切らせるために描かれたとも言われています。

    檀林皇后の九相図 美女が腐っていく絵 ~西福寺~
    http://japantemple.com/2017/02/15/post-2278/

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