カテゴリー政治理念

文化を求める人

一番短い間に文化を求める移民は、観光客に当たるだろう。より長く滞在する例は留学生や国に滞在するために働く人である。(働くために滞在する人は違う。)先ず、期限をつけて移住する人を考えたいと思う。 原則として、国が歓迎すべき人であると私は思う。文化は確かに国の資源の一種であると言えるが、ほかの資源と違って、外国の人と分かち合っても、国の持つ量が減らない。寧ろ、新しい立場からこの文化資源を見てもらうことで、資源の量が増すことさえある。その上、国を好意的に思う人が増えれば、国際社会での立場が有利になる。文化的な影響力は全てではないが、軽視してはいけない。その上、意志の尊厳は国民に限るわけはないので、国を訪れたい外国人がいれば、原則として可能とすべきである。それでも、条件を考えても良いのだ。...

観光客

観光客は普通に移民として考えられていない。法律上、資格が根本的に違うことも否めない。日本の場合観光客は合法な滞在であるが、在留カードを持たない。所得税や年金料を納めなくてもいいし、国民健康保険にも入れない。しかし、日本に来る人の立場から考えれば、一週間で日本を見る人と6ヶ月で日本を勉強する人の間に根本的な違いはないだろう。どちらでも、有限な期間で日本の文化や環境を見たいのである。この観点から見たら、日本の移民政策には非常に積極的な側面がある。 観光客は、旅先の国の利益に貢献する。先ず、お金を国内で費やす。それは経済に良い。その上、旅先の国の特徴が見たいことは多いので、その特徴を維持するための資源にもなり得る。さらに、旅先で楽しい経験をしたら、友好な気持ちを持つようになるが、それも国際社会で利益になる。...

移民の種類

移民を論じる前に、移民の種類を区別すべきである。移民と言ったら、一色の存在であるわけではない。普段、合法移民と違法移民に区別されるが、この政治理念の枠で、法制をどうすべきかについて考えているので、論理上、まだ合法や違法は成立していない。その前の段階で分析したいと思う。 先ずは、自分の意思で移住する人と無理矢理移住させられた人を分ける。 自分の意思で移住する人をさらに細かく分けたら、二つの分け方がある。一つは、滞在の期間の予定で、もう一つは移住する動機である。 滞在の期間は大別したら二つある。...

共同体意識

アメリカの文化と日本の文化を対比する際、アメリカは個人主義で、日本は集団主義であるとよく言われる。もちろん、これほど簡潔ではないが、完全な的外れでもない。日本で、共同体意識がアメリカより重視されている。 共同体意識とは、自分をある共同体の一員として感じて、共同体の利益のために当然動く精神である。自分の利益と共同体の利益に優先順位をつけるのは難しい場合があるだろう。共同体の利益を優先するとは限らないが、少なくとも共同体の利益も確保するように動く。重要なのは、共同体の利益を当然考えることである。...

真面目に

日本人が真面目になんでもやるのは有名だろう。最近、そうではないニュースは多いような気がするだろうが、例外なしに真面目にするはずはないし、珍しい出来事がニュースになるので、もしかして原則としてそう考えても良いだろう。私の日常生活で、周りの人が真面目にしてくれる印象はまだ強い。 「真面目にする」というのは、具体的にどのようなやり方を指すのだろう。 まずは、規則に従ってやることを意味するのではないか。規則を無視して行動すれば、効果的になる場合は確かにあるが、「真面目にしている」とは言えない。むしろ、「真面目ではなくても、場合によって良い」ということになる。しかし、それだけではない。完全にマニュアル化した作業を「真面目に」しているとも言わないのではないか。マニュアルに「いらっしゃいませ」というように指定されているので、そういう。不真面目まで言えないとしても、真面目に足りないだろう。...

寛容と迷惑

寛容な心と迷惑をかけない精神は表裏一体の関係にある。一緒になれば、意志の尊厳の大きな支えになる。 まず、大前提を確認したいのである。人間は皆同じではない。その結果、個人個人の意志を尊重すれば、人はそれぞれの独自の行動に動き出る。甲さんの行動は乙さんにとって好ましくない場合もある。それより、甲さんにとって、乙さんの行動は許し難い行動である場合もある。しかし、甲さんの行動が実際に他人の意志を制限しなければ、止めてはいけない。意志の尊厳を侵すからである。 しかし、これは難しい。それほど嫌な行動と一緒に生活を送るのは無理に近いのではないか。やめてもらわなければ耐えられないと感じる場合もあるだろう。これで対立が発生して、先鋭化する社会摩擦も生じる。どれほど社会問題に発展できるかわかろうとしたら、現在のアメリカを見ても良いのである。...

支え合い

支え合いの精神は、特に自然災害の後で見られることであろう。しかし、緊急時に限ることであるわけではない。共同体などの中で、一人の問題を皆で解決する意識であると言えよう。日本では確かに強い意識であるし、災害と水田の影響で発生したと言われる。災害に対応するために、一緒に取り組まないと何もできない。同じように水田は、村全体の作業である。 この精神を否定する人もいるようである。人間は、いつも人間同士で競争すると主張する人は少なくないだろう。確かに競争する心理も人間の要素の一つであるが、全てではない。他人を助けようとする心理も本当であるし、競争の心理に劣らないと思う。助けを求める人を助けない場合は多いと言われれば否めないが、人間の主な弱点はもしかして努力を避けたい精神で、めんどくさいだと思って、支え合いも競争も避けてしまうことがあるのではないか。だから、支え合いの実現を期待することは十分できる。...

話し合い

日本で、問題を話し合ってから取り組む習慣があると言える。記紀神話でも、神様が何かを勝手に決めることは少なく、神同士で話し合ってから決めることは多い。近代の政治にも、五箇条のご誓文には話し合いの重要性は謳えられているし、明治憲法にも現行憲法にも国会が重要な役割を占める。現代なら、何回も打ち合わせしてから、根回ししてから、話し尽くしてから決める傾向は強いのではないか。このために迅速に対応できないと批判される場合さえあるが、話し合いの重要性は否めない。...

環境問題と転嫁

環境問題が叫ばれて久しい。例えば、現代の生活の為に電力は必要不可欠である。しかし、化石燃料で火力発電から得た電力の副作用として、気候変動が進んでいる。生活の負担の一部を転嫁しているし、それは負担を背負う人を軽蔑することとなる。気候変動の場合、国全体が沈む島国の国民は顕著な例であるが、バングラデシュは高潮などの洪水に対して脆弱であると言われるので、そのような国も大きな負担を受ける。多くの利益を得ているのは別の国の住民であるのは言うまでもない。温度変化を1.5度以下に抑える為に、社会構成に大きな変化は必要であるが、すぐに実現できるとは思い難い。今までの実績を見ればそう思ってくるが、深層な理由も考えれば、同じ結論に導かれる。...

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