郷土の結び

地縁は神道で重んじられている。氏神様というのは、現在の言葉で、ある地区を鎮護する神社を表す。その地区に住む人は皆氏子になる。神社界では、「氏子意識が希薄化していく」ことを憂う声は頻繁に聞こえる。これで、勿論神社との関係を考えているが、それだけではない。その地区の共同体意識も示唆している。これも重要な結びである。

郷土の結びと名付けるが、住む地区の人との結びである。生まれた地域から引っ越したら、現住居の地区を表す。この結びは、一方的でも構わない。同じ地区に住む人が皆相手になるので、それに応えてくれない人も少なくないのではないか。寧ろ、都会に住む場合、顔さえ知らない相手が存在するに違いない。

この結びの内容は、一緒に同じ地区に良く暮らせるように状況を整えることである。まず、自分の行動が周りの人に迷惑にならないように気をつける。そして、予想できる限り、地区が更に住みやすくなるように努める。しかし、「住みやすい」は客観的な基準ではない。人によって、住みやすい環境が異なるし、人の間に矛盾する場合もある。そのため、この結びを実現するために、近く住む人と挨拶したり、世間話したり、重要な問題について話し合ったりすると良い。

理想を言えば、町内会などはこの場になるし、団地などの管理組合も同じようなことである。これで話し合って、住まい環境と関わる問題を一緒に解決することを目指すべきであろう。

この結びは明らかに有限である。引っ越したら、その瞬間に前の結びが切られ、新しい結びが発生する。

その上、特徴は相手を選ぶことはできない。確かに、引っ越すことはできるが、それで生活の全てを覆すことになるので、近所に住む人は嫌だからそうすれば、余程嫌な状況になっているに違いない。その上、普段は同じ地区に友好関係がある人も嫌な人も住むだろう。切り離すことはできない。このような準強制的な結びも惟神の道で重要であると私は思う。まず、地区に住む人は皆一緒に生活を営むしかない。そして、お互いに譲り合っていい環境を作るために、このような結びは必要である。それは、住居する人の性質と関係はないのだ。更に個人的な成長のために、自分が選ばなかった状況と直面することは良い。例外があるのは当然だが、一般に選んだ問題としか取り組まないと、成長する範囲が狭まれる。与えられた問題とも挑戦すれば、成長がさらに伸びるに違いない。

それでも、この結びの最重要な結果は、地区の住み心地がよくなることである。だからこそ、惟神の道を歩めば、促進するべきである。

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