結びの扱い

結びの種類を描写したが、惟神の道でどのような役割を持つのだろう。

描いた結びは理想的な形であることは言うまでもない。友人の結びはお互いに支え合うと言ったが、そうなっていない関係をすぐに思い出せる人は多いだろう。だから、役割の一つは指針である。全ての結びがすぐにこの形になるとは思えないが、結びを強めたり磨いたりすることに努力すれば、理想に近づけると思われる。つまり、結びがあれば、その結びで何を目指すべきかという質問に答えを捧げる。

結びの存在を前提とすれば、惟神の道の道標は分かりやすいだろう。だが、結びを組むかどうかを考える場合、どうすれば良いのだろう。

結びは多ければ多いほど良いとは言わない。結びは多過ぎれば、一つ一つ果たすことはできなくなるからである。家庭の結びは、六つほどまでだろう。親子の結びも、同じぐらいなのではないか。友人の結びは、希薄なものを含めれば、多くできるが、百人程度になったら、もう全ての友人を覚えることが大変になる。職業の結びは計画ごとに数えるべきであるので、何人かではなく、何個かという問題になるが、これも十までいかないかもしれない。努める計画は多過ぎれば、完全に貢献できなくなる。郷土の結びは一つしかない。(鳥のように季節と一緒に移住すれば、二つぐらいは可能かもしれない。)

そして、結びによって、人生が大きく変わる。私が日本生まれの日本人と家庭の結びを組んだからこそ日本に住み、日本国籍を取得したとも言える。唯一の理由ではないが、その結びはなかったら日本に住み続けられたかどうかは不明だし、別な結びを組んだら、別な国へ導かれただろう。親子の結びの影響は同じように大きいのだ。つまり、結びの選択も重要な課題である。

先ずは、郷土の結びを組むべきであると言えよう。住む地域のことを軽視すれば、惟神の道を歩んでいないだろう。地域の問題や自分の性格によってこれが難しくなることはあろうが、原則として組むのだ。

そして、大人であれば、家庭の結びを一つ以上組むように努力すべきである。これで、法律で「努力義務」と言われる義務を課す。努力義務なら、已まざるを得ない場合は許されるが、家庭の結びでは相手は大変重要であるので、慎重に結ぶべきである。積極的に相手を探しても、見つからない場合もある。その上、相手に先立たれることもあるが、その後また結ぶことに時間がかかるので、もう高齢であれば人生が終わるまでにできない場合も認めるべきだろう。一人暮らしを目指すべきではないが、余儀無くされたら自分を責める必要もない。

友人の結びを積極的に作ろうとすべきであるし、職業の結びも同じだと思う。少なくとも一つずつ持つのが良い。さらに、ある計画が完成されたら、または失敗に終わったら、新しい計画を他の人と立てた方が良いと思う。

恋愛の結びを選ぶことはできない。人によって、一生訪れないこともあるかもしれない。それは批判することではない。ただ、恋愛の結びが発生したら、歓迎すべきである。適切な行動は、他の結びに影響されるが、特に両方が感じる恋愛の結びは貴重なことであると位置付けよう。

教育の結びは、弟子として数回結んだ方が良い。自分の産霊の成長のために必要である。先生として結ぶかどうかは、弟子がくるかによってである。先生を職業としなくても良いのだ。職場で新人に仕事のやり方を教えることも、教育の結びの一種である。

では、親子の結びをどうしよう。産霊や伝統の重要性を考えれば、少なくとも人生に一回組むべきであると言いたいが、親子の結びの責任は大変重い。子供の人生の責任を背負う。それはできないと感じる人は、組まない方が良いかもしれない。

これは、まだ具体的な指針にはなっていないが、惟神の道の詳細をこれからもさらに展開させたいと思う。

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