ハレを確保する方法を考えれば、やはり一般の参拝は特に難しいだろう。一般の参拝で、ただ神社を通り過ぎる時に寄り道して、社頭に立って拝礼するので、日常の用事の真っ最中である。参拝者側から考えれば、鳥居をくぐる前に祓詞を静かに唱えるのは良かろう。祓詞を思い出して、口にすれば、日常からの距離を置くと思われる。確かに、祓詞を暗記しなければならないが、それほど長くない。(大祓詞ではない。)しかし、ここで主に神社側から考えたいと思う。
原則として、神職等が出向かないだろう。無人の神社は多いし、神職がいるとしても多忙であるので、全ての参拝者に対応できるはずはない。できる場合は良いが、不可能である場合にも配慮しなければならない。もちろん、下記の案も不可能である場合もある。例えば、神社は実際に道端の祠に過ぎない場合、ハレの気分を醸成することは極めて難しいだろう。文字通りの「日常の道」からも出ないので、気分が変わらないのは当然だろう。それでも、何かできる場合も多いので、考える意味があると私は思う。
多くの神社には境内があるので、鳥居をくぐると日常を出る印象を与えるように努めるのは良かろう。そのため、周りの環境と異なる環境を用意するのは重要である。区別できない場合、気持ちが変わるはずはない。境内の掃除は基本だろう。参道は清浄であることは第一歩になるが、実は日本の一般の道はそれほど汚くはないので、大きな印象を与えないだろう。
市街地に鎮座する神社の境内には鎮守の杜を生やすのは良かろう。周りの建物に配慮して大きな樹木は無理であれば、小さめな木々などを植えたら良かろう。植物の印象で、建物が乱立する市街地との違いを強調できる。そして、植物で視線をある程度遮断して、建物が境内の中から見えないようにするとも良かろう。完全な防壁は不要だが、木のために住宅などははっきり見えない場合、非日常の気持ちに貢献するだろう。
そして、手水舎を用意するのは重要である。水も柄杓も用意して、沈黙を保ちながら手水を促すのは重要である。手水の儀を行うと、日常のことを埃とともに落とすからだ。
拝殿の前の鈴と賽銭箱の環境にも配慮した方が良い。なるべく参拝以外の利用を排除すべきだし、視野に参拝と関わらないものが入らないようにすると良い。目の前に見えることが想いを導いてしまうので、参拝のことしか見えない場合、参拝に専念するだろうが、自動販売機などが見えたら、飲み物などのことが思い浮かぶに違いない。
このようなことは常識に見えるだろう。少なくとも、私が参拝したことのある神社の殆どがこのようなことを施している。但し、目的を明白とすれば、難しい場合の判断もできる。例えば、神社本庁が発行する国旗啓発ポスターを社頭に貼るべきではないことになる。参拝と関係しないことであるので、参拝している間に見えるように貼らない方が良い。社務所の壁に貼ったりした方が良かろう。同じように、厄年年表を社頭からちょっと離れた場所が良かろう。授与所の中などのところが良いか、鳥居の隣の掲示板に貼るか。(啓発ポスターも同じような場所でも良いのだろう。)参拝者に見て欲しいものを、参拝の順路から必ず見える場所においても良いが、拝礼している時点で視野に入らない場所が良いと私は思う。
これで、設備の設置でできることはもうほぼできたのではないかと思われる。参拝者の心に委ねることは多い。これで、ハレになる確率を高めたことができ、役割を果たしたと言えよう。
京都御所 至高の美の守り人
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