参籠のハレ

参籠というのは、神社やお寺で泊まることを意味する。日常から完全に離れて、祭祀等に専念することは目的である。

しかし、大きな問題がある。それは、人間が何でもに慣れることである。非日常な環境でも、人間はすぐに慣れてしまう。特に、毎日同じようなことが起こったら、それは日常になる。つまり、毎日朝一番のご祈祷に参列すれば、すぐにハレではなくなる。

別な側面から見れば、参籠は潔斎の意味も持つ。重要な祭祀の前に一晩籠って、清浄な状態になることはある。そして、一晩であれば、もしかして慣れることはなかろう。だから、まずそのパターンを考えたいと思う。

まず、参籠の開始として禊を行うと良かろう。俗界を出た気持ちを沸かすし、スマホなどを預かって、祭祀等への専念を促す。食事も、食前と食後の祝詞を一緒に唱えてもらって、そして特別の料理にすると良い。精進料理は仏教由来だが、そのような潔斎に貢献する料理で良いのではないか。

睡眠も、特別な気分にすべきだろう。一つの案は、日没とともに就寝させて、日の出とともに起床させることだろう。就寝は特に早くなるが、起床も早いだろう。起床して、また禊を行なって、祭祀に参列させる運びも良かろう。

重要なのは、日常的なことに戻ってしまう暇を与えないことであると思われる。スマホやテレビをもちろん提供しないが、何も考えることはないと、頭がつい日常の悩みに戻るのは当然である。それを防ぐ方法を考えなければならない。

一つは祭祀の導入である。例えば、最初の禊だけではなく、就寝の前の祭りも行なって、食事を祭祀の中に盛り込むことも可能だろう。そして、参籠の開始を食事などと合わせて、暇はないようにする。ただし、食べたらすぐに寝るわけにはいかないので、それに何かの儀式を入れたら良かろう。御祓と関連する行動が良いと思うが、複数の選択肢がある。例えば、大祓詞の写しに時間がかかるし、集中も必要である。(特に、宣命体の書き方であれば、万葉カナに慣れていない人は集中しなければならない。)一緒に数回大祓詞を唱える儀式も良かろう。

そして、別な観点から、祭祀の供物を用意する作業も可能である。特殊神饌がある祭りで、準備には時間がかかる場合は少なくない。供物を用意してから就寝する形も良かろう。

祭祀が終わると、直会を行う。直会は朝ごはんになるが、お下がりを入れて、雑談の禁令を解除すると、食べながら気が緩んで、ハレから出るのではないか。食べてから普段着にまた着替えて、日常生活に戻ることはできる。

このような参籠のために、俗界が見えない環境が良かろう。つまり、東京のど真ん中の神社は向いていない。建物から一歩出れば、高層ビルが見えるからだ。しかし、視線に配慮すれば、遠い過疎地ではなくても良い。このような祭りで、参列者の特別な気持ちをいただけるのではないだろうか。

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