更に日常から離れてもらうための儀式として、禊が良いと私は思う。これで、目的は禊自体ではないので、寒中の禊などと意図が明らかに違う。寧ろ、この禊の目的は神事をはっきり日常と隔離させることである。だから、神事に参加しないと意味はない。

禊の基本は水に浸かって穢れを流すことであると言えよう。体を物理的に綺麗にすることも含まれているが、体を洗うだけは非日常ではない。俗界を出る儀式とすべきであろう。

だから、まず素っ裸になる。そして、洗い場に入って、体を洗う。洗い場から、禊場に進む。禊場で、水に浸かって、禊の祝詞を奏上してもらう。そして、お水から上がって、体を拭いて、純白の和装に着替える。

素っ裸になることは、日常の持ち物等を全て預けることを意味する。日常との繋がりを一時的に切る。眼鏡などの必要なものを例外として扱うべきであろう。体内の医療機器を置くことはそもそもできないが、酸素ボンベなどのものを御祓して持たせても良かろう。それでも、原則は持たないこととする。神事の間に持たなくても良いものを持たない。日常品を置く時点から、会話を控えることは原則とする。禊の儀式に専念するためである。

体を洗うのは、物理的な綺麗を確保する。本当に洗う、という意味である。しかし、これは日常的な行為であるので、環境ややり方を普段と違うこととするのは適切だろう。例えば、順番を神話を考えて指定することもできるだろう。順番に従うために、洗いに集中しなければならないであろう。石鹸の使い方も指定すれば良い。その儀式には神事の意味を込めたら、日常から気を離すことに貢献する。

禊場での儀式は、宗教上の御祓である。祝詞には普通の祓詞を使っても差し支えないが、特別な祝詞を作文した方が良い。これも、環境を考えなければならない。ただし、裸で水に浸かっている間に祝詞が奏上され、大幣が振られることは最早十分非日常なのではないか。

体を拭くことはただ必要であるし、日常的な行為になるので、また儀式の形を定めた方が良かろう。拭く順番やタオルの使い方を定めることはできる。

和服の色の純白は、当然潔白になった状態を象徴する。そして、肌着から純白で、伝統的な和式にすれば良い。これも、一般人はあまり日常生活の中で着ない服装であるので、またハレの気分を醸す。最後に襷をかけると良い。襷がまた清浄を示す。

この儀式に20分程度がかかると思われるだろう。終わった直後、神事に進むべきだと言えよう。なぜなら、待ち時間があれば、雑な考えに戻るからである。そう考えれば、参列者が同時に行う必要がある。禊場が銭湯のような形になるだろう。純白の和服はかなり必要となるし。そう考えれば、普通の神社にすぐに導入できるわけはない。卓上の描写に止まるだろう。

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