参籠が長引くと慣れてしまう問題をその投稿で指摘している。そう考えれば、神職がさらに問題に直面するはずである。神職が神祀りに専念すべきであるとも言われるが、そうすれば慣れてしまうことは避けられない。私も、同じようなことを体験している。私は、大祓詞を暗記して、氏神神社に参拝する前に囁く。(道を歩いているので、堂々と唱えたら周りの人の迷惑になる。)もちろん、その内容に集中すべきである。しかし、最初に集中できたものの、最近ささやきながら頭の中で様々な話題が湧いてくる。なぜなら、慣れてきたからだ。集中しなくても良いので、すぐに別なことを考えてしまう。また祝詞に戻ろうとしても、時間がかかる。
神職はさらにそうであろう。
毎日神饌を供える祭祀を執り行うので、その間、別な問題を考えることは多いだろう。特に、神社は日常生活と日常的な問題の現場であるので、周りに見るものがその問題を彷彿する。「御簾が老朽化しているな。取り替える資金をどこから得られるのかな。後で、あそこの掃除をやり直さなきゃなぁ。」云々
「祭祀に集中しなさい」と怒鳴っても、効果は期待できない。これは人間の心理であるので、短期的に克服できても、すぐに落ちてしまう。心理を味方として、問題を解消するしかないのである。
しかし、具体的にどうできるのかな。
最初に言えるのは、年間に少ない祭りは特に深い問題はない。例祭などは年に一回執り行う祭りは、神職にとっても非日常である。何か対策を取るべきであるが、特別な潔斎などを行なったら、ハレの気分を引き出せるに違いない。問題は、いつも執り行う祭りである。
神社の一つの習慣が既に貢献していると思う。それは、神職が祭祀の装束を普段着ないことである。白衣と袴を着るのは普通だが、狩衣などは、祭祀の直前に着けるのは一般的であるようだ。その着替えで、日常をちょっと出た気分になるだろう。
そして、祭祀を行う場所に普段入らないようにしたら、服装も場所も特別になる。もちろん、その場所の掃除は必要であるが、掃除にちょっとした儀式を導入すれば、掃除の場合でもその場所を特別視するようになろう。
それでも、毎日祭祀を数回執り行うと、慣れてしまうに違いない。神職は多い神社には、当番の制度を導入して、「祭祀の日」があるようにしたら、効果は期待できるだろう。その日の前に潔斎をして、その日で祭祀に専念する形であれば、いつもと違う。しかし、多くの場合神職は一人しかいない。神職は兼業である場合、神社は日常ではない可能性もあるが、神社に専念できるが、神職は一人か二人しかいない場合は、一番難しいだろう。有効な施策があったら、それを多数の神職が奉仕する神社でも導入できるはずだから、検討する意義があると思われる。