流れの調整

世の中、人生の戦略を積極的に決めない人もいる。そのような人が社会の流れに乗って、流されるままにする。安心できる社会を構築するために、流れで満足できる人生に漂着するように工夫しなければならない。

人生の戦略を決めるのは容易ではない。いつでもできない人は多いし、そうできない若者は特に多いと思われる。だからこそ小中高の学校がある。子供がその流れに乗って卒業まで流される。それからも、流れで人生を講ずることができる制度は良いと私は思う。

実は、日本にはそのような制度があったのは大昔ではないそうだ。90年代まで高校を卒業したら、高校の先生が就職先の会社を探して、就職させることは多かったようだ。そして、会社に入ったら、定年まで働くと社会的な地位や収入を確保したという。独特な人生を思い描いて実現する必要はなかった。

このような制度が問題になることも確かにある。例えば、自分の人生のはっきりしたイメージを持っている人が別な流れに強制的に乗せられたら、違う行き先まで運ばれたら、それは好ましくない結末。だから、流れを出る方法を備えなければならない。積極的に自分の目的を目指す人は、その措置を使って一般的な流れを脱出する。この措置は、人生のどの段階でも存在すべきである。40歳まで普通な会社員として勤めた人も、高校以来ミュージシャンを目指した人も、自分の人生計画を追う機会を持つ権利がある。

実現される流れは、死亡まで及ぶ必要がある。急に高齢になった時点で社会から放り出されることは、安心を与えるはずはない。だから、教育、就職、昇進、退職、年金生活の一貫の流れを用意すべきだ。これは明らかに国家だけでできることではない。民間の企業と連携して、このような職業を用意しなければならない。

そして、前回提案したやり直す機会も重要である。一旦流れから零れ落ちた人は、また乗れることができることは必要だ。病気や事故で一年の空きが生じたら、ただ一年遅れで流してもらえる状況を社会が目指さなければならない。

この場合、「やり直す機会」より、「落ちにくさ」と考えた方が良いかもしれない。つまり、一旦流れから落ちた人がよじ登ってまだ乗る行動ではなく、その出来事で落ちていない状況を構築した方が良いのではないだろうか。

状態がそうなったら、流れの統一性が薄まる。同じ段階に立つ人の年齢がバラバラになるし、それまでの体験にも違いが生じる。そして、これは基本的に必要なことである。人はそれぞれだから、効果的に働く流れには、個人差への対応は必要不可欠。興味や能力に応じるのは当然重要だが、たまたま起こった人生の出来事にも対応しなければならない。

このような社会構造があれば、安心が広がると思う。子供が病気になっても、軌道に戻ることができる確信を持っていれば、治療に専念できる。完治してから、他の人と同じ人生を送ることができる見通しは、闘病の助けになるのではないか。そして、自分のはっきりした目標に積極的であるが、その目標が生業にならない人にとっても安心を齎らす。自分の気力を目標に注ぎながら、社会の流れのおかげで生活が成立する状態で、安心で自由な人生ができる。もちろん、人生の目標が趣味になることだから、仕事に時間を割かなければならないが、目標を追うことはできる。

流れがあれば、誤っても人生が展開することがあると思われる。しかし、誤りについてもう少し詳しく考えた方が良い。次回のテーマとする。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

最近の投稿

最近のコメント

アーカイブ

カテゴリー

メタ情報