やり直す機会

安全網の基本は、やり直す機会であると私は思う。

人間は失敗する存在だ。失敗を完全に避けることはできないし、一人の人間の人生に複数の失敗があるのはほぼ確実である。だから、安心するために、「今回失敗しても、次回また頑張れる」という意識は必要だ。

そのため、社会はなるべくやり直す機会を提供すべきであると思っています。もちろん、人間は失敗するだけではなく、死ぬ存在でもあるので、永遠までやり直す機会を与えることはできない。そして、例えばオリンピック・パラリンピックに派遣される機会を与えられる回数は少ないし、してもらえる人も大変限られているので、結局できることには制限がある場合も少なくない。

それでも、できることは多い。

例えば、高等学校の入学を考えよう。15歳で一回限りの機会であれば、ここで失敗すれば人生に大きな悪影響を与える恐れがある。だから、複数の機会を提供すべきである。確かに、他の生徒より年上になるが、それは仕方がない。具体策に踏み込みたくないが、例えば6ヶ月の集中学習してから9月入学を目指すことを可能とできれば如何だろうか。これは高1の途中までの勉強だから、ハードルは高いが、入試の2月に不慮の事情があった人の救済策になれる。そして、一年遅れの入学も認めても良いだろう。一つ年上の人が入学しても、大きな乱れにならない。それに9月入学をまた許せば、1回の機会が4回になる。そして、17歳で高校の入学も許せれば、6回になる。それ以降は普通の高校の入学が明らかに難しくなるので、夜間学校等で機会を設ければ良いのではないか。

大学の入学には年齢制限は不要である。だから、浪人を認めて、30歳でやっと高卒できた人も認められる。就職も同じようにできる。年齢制限を課す必要なない。それより、逆に最低就労期間の見込みを定めて、それで逆算することは良いのだろう。普通の事務の仕事であれば、1年でもできるので、69歳でも就職を認めるべきだ。一方、一人前になるために20年間の訓練が必要となる職人の仕事は、40歳を超えた人に対して躊躇うだろう。しかし、重要なことは、22歳の新卒を前提とする考え方や制度の撤廃だ。まず、やり直す機会を増やして、その過程の途上でどれほど増やせればかを検討する。

同じように、1回大学を退学したからといって、入学を拒んではいけない。大学で失敗したら、やり直す機会を確保しなければならない。確かにまた失敗する可能性があるが、その可能性のために機会を奪うわけにはいかない。転職も同じ概念になる。

ただし、失敗で時間を失ったことは事実だから、自然な制限がある。50歳で就職した人は、40年の経歴を要するポストに就けないだろうが、それは制度の問題ではない。無闇にそのような条件を設けてはいけないが、自然に必要となる場合もあり得る。

つまり、安全網の基本は、失敗の後のやり直す機会である。

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