ハレを確保する方法を考えれば、やはり一般の参拝は特に難しいだろう。一般の参拝で、ただ神社を通り過ぎる時に寄り道して、社頭に立って拝礼するので、日常の用事の真っ最中である。参拝者側から考えれば、鳥居をくぐる前に祓詞を静かに唱えるのは良かろう。祓詞を思い出して、口にすれば、日常からの距離を置くと思われる。確かに、祓詞を暗記しなければならないが、それほど長くない。(大祓詞ではない。)しかし、ここで主に神社側から考えたいと思う。...
祭祀とハレ
日本の民俗学では、ハレとケが区別される。ケは日常を、ハレは非日常を表す。私が見た限り、普段そのままカタカナで表記されているので、もしかして元々の漢字は常用漢字ではないか、意味が時間とともに移ろいできたかと思う。神道や祭祀についての文脈で出会うと、ハレが祭祀を指すことは殆どである。つまり、祭祀は非日常であることは通説であるようだ。 私もそう思う。では、なぜだろうか。 神様実在想定から考えれば、すぐに説明できる。祭祀で神様にいつもより近づくので、特別な場面であることは決まっている。...
アメリカの実例
ここで主張している非常事態宣言のあるべき形を裏付ける実例が先日発生した。アメリカのトランプ大統領が平成31年2月15日に非常事態を宣言した。そのきっかけは、大規模な自然災害やアメリカへの襲撃ではない。寧ろ、ただ単に国会が自分の政策を実行するための予算を供給してくれないからである。...
初穂料
現在、神社にお参りすれば、賽銭箱に小銭を入れるのは習慣だ。(赤玉は多いそうですが、「ご縁」に因んで5円を捧げることは多いからだろう。)そして、正式参拝すれば、初穂料を熨斗袋に包んで奉るのは作法である。裸で金銭を渡す人もいるそうだが、それは避けたいのだ。...
占いを踏まえて
では、仮に占いから模様を読み取ったとすれば、それからどうすれば良いのだろう。 これで、神の意思を把握する方法ができたので、この占い方法を使って、まず神を敬う方法を特定する。直接に話しかけて、答えをもらうことはできないだろう。寧ろ、選択肢を提供して、指摘の通り祭祀を執り行う。...
占いの裏
占いの結果には模様があれば、それは神の意思の表現であると定義してきた。しかし、本当にそうであるのだろう。何か別な存在が邪魔をしている可能性にも配慮しなければならないのではないか。 驚くことに、そうではない。何故なら、現時点で神の本質が全く分からないからである。そのため、神社で執り行われた神事に関与する存在で、目で見えない存在で、そして超自然的に関与する存在は、神であると定義できる。神道では、神の質について決まっていないので、事実はなんであっても、神であると言える。 具体例を考えよう。...
模様はない場合
占いで何も模様が見えてこない場合は、どうすれば良いのだろうか。 一つの選択肢は神の存在を否定して、計画を止めることである。それは科学的な方法なのではないかと思われるだろう。しかし、科学のやり方を検討すれば、本当は違う。一つの失敗で完全に辞めるのは大きな間違いで、科学の進歩を妨げる。科学者が実践の中でこのことを理解する。 結果が出ない理由はいくつかも考えられる。一つは、確かに神が存在しないことである。当然、存在しないと、神社にとって好ましくないし、意識を検討する方法がなくなる。それでも、事実はそうであれば、残念であるが、認めるべきである。...
占いの評価
占いの結果をどう評価するか。将来について占えば、実際にそうなるかどうかを調べることができる。科学の理論を試すと同じ概念である。しかし、ここで提案した占いは違う。神の意思の表現に止まるので、占いの結果と神の意思を比較することは基本である。ただ、神の意思を探る方法は、占いしかない。だから、占いの間違いをどうやって見つけられるのだろうか。 この問題は、実は科学でも発生するので、対応策は知られている。まず、結果の中の模様を探るのは解決策である。 人間の例を考えよう。ある人は、串を意図的に選んで晩御飯を注文するとしよう。その選択肢は寿司、トンカツ、ラーメン、カレーライス、そしてお好み焼きである。もちろん、毎回同じ結果になるとは限らない。気分によって変わるし、毎日同じものを食べたい人はほとんどいない。そのために、すぐに無作為な選択と区別できない。...
占いの方法
占いしようとすれば、方法は必要である。そして、その方法を神道の歴史から選ぶべきであろう。それは今回の祭祀の仮説の本質であるので、逆らう筈はない。 しかし、もう一つの重要な要素がある。占いの目的は、神の意思を探ることである。だから、人間の意思が邪魔する方法を避けた方が良い。 例えば、神憑りの託宣の場合、神懸かりとなる人の意思が混ざる恐れがある。わざと偽った託宣を言うことを考えなくても、無意識で自分の意思を表す可能性は十分ある。そして、どうやって神懸かりになれるか分からない場合、占いの開始さえが難しくなる。神懸かりが神道の祭祀から明治時代にほぼ払拭されたので、やり方を継承してきた人はもう少ないので、学ぶ機会も少ない。それでも、一番の問題は人間の意思の排除ができないことであろう。...
基本概念
神の為の祭りがどのような形を取るのだろうか。今の時点で、神の質がよくわからないが、神道の伝統に基づいて考える。 鎌倉時代の御成敗式目では有名な第一条がある。 神は人の敬によって威を増し、人は神の徳によって運を添う。 これで考えれば、神の為の祭りでは敬いを形とするのは相応しいと思える。勿論、祈願祭でも畏敬を表意するが、神の為の祭りでそれは中心となる。 では、神に畏敬を表す方法は、具体的に何だろう。 まず、穢れのない状態で祀ることは大前提である。斎主の潔斎と斎場の御祓はとても重要である。 そして、神饌の奉納も重要である。神宝の奉納も芸能の奉納も畏敬の表現となるので、検討すべきであろう。 その上、祝詞の中で神への尊敬を表現するのは良い。この具体的な内容は、後で考えたいと思う。...
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