安全網の基本は、やり直す機会であると私は思う。 人間は失敗する存在だ。失敗を完全に避けることはできないし、一人の人間の人生に複数の失敗があるのはほぼ確実である。だから、安心するために、「今回失敗しても、次回また頑張れる」という意識は必要だ。 そのため、社会はなるべくやり直す機会を提供すべきであると思っています。もちろん、人間は失敗するだけではなく、死ぬ存在でもあるので、永遠までやり直す機会を与えることはできない。そして、例えばオリンピック・パラリンピックに派遣される機会を与えられる回数は少ないし、してもらえる人も大変限られているので、結局できることには制限がある場合も少なくない。 それでも、できることは多い。...
本物の安心
社会で安心して暮らすというのは、どういうことだろう。 身の安全はもちろん重要である。いつでも襲われる恐れがある状態の中で安心できるはずはない。しかし、それだけでは十分ではない。社会的な地位が常時に不安定であれば、安心できるとは言えない。その反面、好まない社会的な地位を脱却する術はない日常でも、安心できるとは言い難い。 安心の社会というのは、自分の欲しい人生を目指せる社会で、失敗しても壊滅的な結末にならない社会であると私は思う。成功する人が失敗する人より幸せを入手することは多いと思われるが、失敗しても絶望にならないし、平凡な生活を送ることができる状況が保障されている社会なら、誰でも安心になるだろう。自分のことはもちろん、子供等の親戚についての心配もかなり軽減されるのではないか。...
研究の失敗
研究には大きな成果が出ない場合もある。例えば、病気の治療法を研究して、ただ複数の方法には効果がないことを確認することもある。核融合発電も顕著な例だろう。60年以上の研究で、まだ成功していない。(この60年間、ずっと「40年後使える」と言われてきた。) このような失敗は、研究と離れない現象だ。研究は、未知の分野で新しい知識と理解を探す活動だから、場合によって見つけないことがあるのは当然だ。探さないと見つけないのは事実だが、探したからといって必ずしも見つけるとは限らない。 国家が支援を出したら、これが問題になる。国家が出費したのに成果はないのは、無駄遣いなのではないかと思われるだろう。しかし、研究の場合、これは大きな間違いだ。結果を強く求めれば、寧ろ研究の不正や歪曲の温床になる。...
適応のある基礎研究
ここまでの流れで、国家が基礎研究のために助成金を出すべきではないかのように見えると思う。実は、そうではないので、今回その背景を説明したい。 「基礎研究」という言葉は、すぐに活用できない研究を指す。だから、国家が出費に慎重すべきであるのは否めない。しかし、大きな利益も齎すので、完全に無視すべきではない。 なぜかというと、基礎研究で、想像さえできなかった可能性が把握されるからである。パソコンの半導体もソフトも基礎研究から発生したが、200年前にその可能性は把握されていなかった。100年前の基礎研究が半導体と繋がったし、200年前の基礎研究がソフトと繋がった。だから、基礎研究はなければ、長期的に市民の不利益になる。その不利益に気づかないが、可能性が奪われる。...
国際共同研究
国が天文学のような基礎研究に助成金を出しても良い場合は、国際共同研究である場合だと私が思う。この場合、国家が見込める利益は、主に研究成果ではない。むしろ、国際関係の構築や信頼関係の増強等だ。これで、国民の世界舞台での活躍がよりスムーズに進むと思われる。 基本から始まったら、共同研究で海外の研究機関と日本の研究機関の間に良好な関係が築かれる。(例外はもちろんあるが、特に日本側が研究費を多く出したら、良好な関係が自然に発生することは多かろう。)1箇所であれば影響力はあまりないかもしれないが、例えばある国の大学の大半が日本と共同研究を行ったら、その国の政府が日本に対して経済制裁を課そうとしたら、大学が反発する。自分の研究に大きな打撃になるからだ。...
研究法人
商業のための研究費は、製品を販売する予定を持っている会社から経費として得られる。問題は、より基礎的な研究のことだ。すぐに会社の利益にはならないので、経費として出すことはできないだろう。道具等の必要経費が国家の研究によって抑えられてきたとしても、資金はまだ必要となる。 これは、原則として市民から集めるべきと思う。つまり、募金だ。募金すれば、寄附する人は自発的にお金をあげるので、税金に伴う強制の問題が発生しない。問題は、募金の形式だろう。...
研究を行う機会
研究は人間的な活動である。社会で評価したり支援したりすべきだと私が思う。では、この分野で行政がどのように税金を使うべきなのだろうか。 基本的に、研究を行うために三つの要素は必要。まずは、時間である。これは根本的な問題なので、ここで論じない。(行政が直接に支援する研究で、生活費の提供で研究者に時間を与えるのは極めて重要だが、より一般的な話は広くて重大な課題であるので、ここで割愛する。)そして、教育。教育はないと、質問を講じることさえできない。これも、今回の投稿の課題として大きすぎるが、行政には教育を提供する義務があると言えよう。最後の要素は、研究の道具や材料である。 助成金を出す場合、人件費と道具費が主な項目になる。例えば、火星への探査機の場合、探査機の費用は極めて高い。民間の個人の経済力で到底できないことだ。...
基礎研究
ここで、市民の利益に帰さない研究に国費からの助成金を与えるべきではないと論じている。これを聞けば、基礎研究からお金をとって、開発に注入すべきであると解釈する人もいるだろう。そうする行政は少なくないし、筋が通りそうな理論である。 しかし、私はそう言わない。なぜなら、研究の構成を理解するからである。...
研究開発の助成金
研究開発の行動は、個人的に強く応援する。一般人の日常生活の改善や文明の発展には必要不可欠であるので、進めてもらいたい。或る人が個人的に資金を出して研究を進めれば、それは評価すべき行為であると言おう。例えば、academistというクラウドファンディングサイトで研究の資金を集めて進めれば、称賛する一概だ。 ここで論じたい問題は、国家からの助成金だ。先に言っておくが、国家からの助成金は必要で、国家には出す義務があると思う。(その義務は所謂努力義務だが、日本のような先進国の場合、避けられない義務になる。)しかし、どのような形で出すべきかは、それほど簡単な問題ではない。...
森元会長の件
この数回の表現の自由についての投稿を事前に書いて、公開されるように設定した。公開を待っていた間に、オリンピック・パラリンピック組織委員会の森元会長の女性蔑視発言問題が発生した。これが素晴らしい具体例になるので、ここで論じる。 まず、「女性がたくさんいる理事会には時間がかかる」との発言は、私にも女性蔑視の発言に聞こえる。不適切な発言で、強く批判すべきである。ところで、私が小さな委員会の会長を務めたことがあるが、そういう傾向を見たことはない。よく話す人は男性も女性もいる。その上、委員会で発言することが委員の仕事になるから、趣旨は分かりづらい。...
最近のコメント